「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

被害想定調査を考える

2015-04-28 23:57:48 | 防災学
ネパール・カトマンズでは地震から4日目の夜となっている。
カトマンズは標高1500mの、上高地とほぼ同じ高さの盆地ゆえ、冷え込みも厳しかろう。

現時点は、初動期のいわゆる「切った・貼った・縫った」の段階の、それも後半だが、
残念ながら生存救出の可能性はほとんどない、という現実も、しっかり直視すべき。
その現実に立ち、万に一の奇跡を信じての引き続いての捜索救助活動もあるが、
生き残った者への「今日明日を生きるための支援」、そして、彼らの「人生を立て直すための中長期的支援」、
これら中長期的な、つまりは息の長い活動についても、今のうちから本気で考え仕込んでおくべき。

発災翌日、神戸にあるアジア防災センターの初代所長をされていたO先生に電話した際、
お話しさせていただいたのもその辺りのこと。
もちろん、何が出来るのかについては、単純な話ではないが、
そういう活動を考えることこそ、多少なりともこの分野で長く活動している者、
多少なりとも人間関係を持っている者の役割、そう考えている。
この旅が終わったら、改めてO先生の元を訪ねたいと思う。

それはそれとして、現地踏破4日目は、盛岡から八戸へ、さらにそこから久慈へと南下。
時間の配分を誤って久慈で日没となってしまった。
今宵の宿は、一度は泊まってみたいと思っていた、田野畑・羅賀のホテル羅賀荘。

という訳で、野田村や普代村で確認しておくべき何ヵ所かが夜の間の素通りとなってしまった。
さて、これらをどうするか、ということはあるとして……。

忘れないうちに述べておきたいことが一つある。

東日本大震災の現地踏破に出発する前日の先週金曜日(4月24日)午後、
千葉県の地震被害想定調査検討会議に出席した。
過去にもお手伝いをしたことのある千葉県の地震被害想定調査。
最終のメンバーを見て驚いたのが笑ってしまったのが、
委員長以下15名の委員の中に、静岡・富士の本学から2名委員に選ばれていること。
(まぁ、それはどうでも良い話でした。)

被害想定を考える上では、
一方に、理学的な意味での自然理解(≒自然現象としての災害のメカニズム理解)と
工学的な知見に基づく被害量の見積もりを基本とする部分と、
他方に、具体的な予防行動へと誘うため、またしかるべき準備を行う(行わせる)ため、
特に住民に覚悟を決めさせる&腹をくくらせるための材料という、
大きく分けると2つの側面がある。

先週金曜日での議論では、この被害想定の2つの側面について、改めて考えさせられた。

いつの間にか年を食ってしまったようで、私より若手の委員の方が何人もおられた。
世代交代は基本的には歓迎すべきことなのだが、その過程で、正しい理念の断絶があってはなるまい。
メンバーの中で、正しい意味で防災に取り組んでいると「旅の坊主」が見たのは、
静岡県防災局(当時)でナンバー2を勤めた経験を持つKさんと、
人と防災未来センターにおられたIさんくらいではないだろうか。
他の方々は、災害や防災に関連するある分野の、例えば建築物や構造物の専門家であり、
自分の専門分野と防災・災害対策とが重複する部分については、イメージをお持ちだろう。
しかしそれは、防災と防災学に求められているもののある部分であって防災学全体ではない。

特に、注意を要するのは、一般の方に防災を語るのは、多くの場合基礎自治体である市町村の職員の仕事だ、ということ。
理学や工学の正確さを追求したい、というのは、学者・研究者としては当然の話。
しかし、防災の一義的な責任者かつ最終的な受益者は市民であり、その市民に直接接するのは自治体職員。
つまりは、彼らの「腑に落ちる」ものでなければ、予防への誘いにはならない、ということ。
(腑に落ちたところで、先立つものがなければ……、という現実もあるので、念のため。)

研究者の社会的責任というものは、他の分野ならいざ知らず、こと防災については、
市民と行政職員(数年に一度の異動で素人さんに戻るということを忘れるな!)に
納得して使ってもらえるような代物でなければ、なかなか活かせないのです。

幸いにも、作業を担当するJVのうち(あえて実名を出すが)三菱総合研究所の担当者は、
その辺りはしっかり理解してくれていた。
「旅の坊主」は中学2年生という基準を持ち出したのだが、「そうだよねぇ」と。

また、電力被害についても、そのイメージを具体的に持っていたことを心強く思う。
重要なのは発電所の被害。東京湾沿岸に位置する東京電力の火力発電所がどのくらい停止し、
それがどのような社会的インパクトをもたらすのか。
細部は今後しっかり調査するとしても、基本線として甚大な被害が出るということ、
それによって長期の停電(計画配電と呼ぶべきか?)を余儀なくされること、については、
しっかりイメージしていてくれていた。

多少なれど、また、期待よりもはるかにゆっくりなれど、時代が変わりつつあるのかもしれない。
その手応えを感じられたことは嬉しかった。

旅の途中、またいろいろと面白い話もあったのだが、それらは改めて。


1 コメント

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仙台の防災会議ではお世話になりました。 (久保田真之)
2015-04-29 10:19:40
こんにちは。仙台の世界防災会議でご一緒させていただいた、久保田です。

ネパールの地震に際し、先生の事を思い出して、こちらのブログを見付けました。

義援金の情報が増えてきましたね。
会議で私が呟いたアイデアは、このようなタイミングで具現化するのがベストであろうと考えております。

防災に関するお話を、これからもこちらのブログで拝見させていただきたいと思いますので、
宜しくお願いします。
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