「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

今年も学生に内田樹著『下流志向』を読ませようと思う

2015-04-19 23:38:23 | 小村ゼミ
週明け月曜は2限に2年生向け「現代社会と安全」、3限に1年生向け「災害と人間社会」、
そして5限にボランティアで担当している「天声人語書き取りゼミ」の3コマ。

「現代社会と安全」は、本当ならば、これから先の人生を安全・安心に過ごすための、
全般的な教養をみにつけさせるための科目であるべき、とは思っている。
ではあるのだが、地方私大&偏差値的に底辺にある本学の現実を考える時、
彼らが人生を安全・安心に過ごすためには、まずもって、まともな職に就けるかどうか、
これが、決定的な重要性を持つ。

という訳で、学生には、ひたすら、現実を直視させるような資料を読ませ、
格差社会がどのようなものか、それでいて学びから逃走している若者は何なのか、
社会人経験もないのに世の中のすべてを判断できると思っている愚かさとは何なのか、
等々を、資料を読ませ、レポートを書かせ、議論するような講義を行っている。

ここ数年、初回か2回目かの講義の際、
内田樹先生の『下流志向』(講談社文庫)の一部を抜粋して読ませている。
印象深いフレーズが幾つもある。

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「学びからの逃走」は先人の民主化と人権拡大の営々たる努力の歴史的成果としてようやく獲得された「教育を受ける権利」を、
まるで無価値なもののように放棄している現代の子どもたちのありようを示す言葉である。
彼らはこの「逃走」のうちに「教育される義務」から逃れる喜びと達成感を覚えているように見える。(10頁)

「仕事をするか、しないか、それは私が自己決定することだ。法律でがたがた言われたくないね」と
ほとんどの人は思っているはずである。しかし、……労働は私事ではない……。
労働は共同体の存立の根幹にかかわる公共的な行為なのである。(10~11頁)

弱い動物はショックを受けると仮死状態になります。
そのように心身の感度を下げることで、外界からのストレスをやり過ごすというのは生存戦略としては「あり」なんです。
おそらく、現代の若者たちも「鈍感になる戦略」を無意識的に採用しているのでしょう。(32頁)

教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、
教育がある程度進行するまで、場合によっては教育過程が終了するまで、
言うことができないということにあります。(55頁)

二十歳の学生の手持ちの価値の度量衡をもってしては計量できないものが世の中には無限に存在します。
彼は喩えて言えば、愛用の三十センチの「ものさし」で世の中のすべてのものを測ろうとしている子どもに似ています。
その「ものさし」では測れないもの、例えば重さとか光量とか弾力といったことの意味を「ものさし」しか持たず、
それだけで世界のすべてが計量できると信じている子どもにどうやって教えることができるでしょう。(90頁)

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全員が全員、反応してくれるかどうかはわからない。
下手をすると、半数以下しか反応してくれないかもしれない。
それでも……。

「都合の悪い現実はないことにする」というのも、弱い人間の生き方としては「あり」かもしれない、
と、頭のどこかでは思いつつも、
これでは、巨大災害が予定されている人生の中で、たくましく生き抜いていくことは出来ない。
これは明々白々なこと。

「ほめて育てる」というのもあるらしいが、本当の実力は試練に耐えてこそ身に着くもの、
と「旅の坊主」は考えている訳で、
たかだか文庫本の、それも数十頁を読ませることは、試練という言葉に値するレベルではもちろんないが、
でも、これをぶつけてみた時、学生諸君がどういう反応をするか、
そこはしっかり見ておきたい、と思っている。