このところ、日付が変わる直前に、いわば駆け込みのように、
何とかその日のネタを絞り出して、キーボードに向かっているような状況。
この状況、決して好ましいものではない、と思っている。
日々の、というよりも、その時々の活動の中で何かしら、思うものはあるはずで、
その時、5分でも10分でも立ち止まり、パソコンを取り出して書き込んでおけば、
いわばそれが情報発信のネタになってしかるべき、という話。
昨日は、インプットとアウトプットの割合について述べたが
何らかの刺激を受けているならば、そしてそれに対して感じる機関が鈍っていない限りは、
1000文字程度であれば、まとめる文章力は持っているだろうに、ということ。
体系づけた情報発信となると、これはこれで、ちょっとモードを切り替えないと、
いわばその日の気分で何とかなるような代物ではない。
(余談だが、そう考えると、新聞の連載小説を書いている人の頭の中は、
一体どういう構造をしているのか、と思う。
当然、それなりのストックをした上で、連載に臨んでいるとは思うが。)
それについても、幾つか考えておかなくてはならない、と思っているが、
まぁ、それはそれとして。
ともあれ、執筆時間帯を変えることで、ブログの質を変えることも出来るかも、と
思うようになったのがここ数日の話。
朝読書というのか、新聞の斜め読みかは知らないが、
午前中の頭がすっきりしている時間帯に、しかるべきインプットをして、
で、30分では厳しいかもしれないが、1時間程度のモノを考える時間があれば、
多少は質の良い情報発信ができるようになるかな、と、思ったような次第。
せっかく続いているブログなのだから、中途半端なところで中断させてしまうのももったいない。
で、同じ情報発信ならば、雑文というか、つまらない日記代わりのものよりは、
もう少し質についてこだわるべきだよね、という話、であった。
さっそく明日から挑戦してみるつもり。
質の差へとうまくつながってくれればよいのだけれど……。
何とかその日のネタを絞り出して、キーボードに向かっているような状況。
この状況、決して好ましいものではない、と思っている。
日々の、というよりも、その時々の活動の中で何かしら、思うものはあるはずで、
その時、5分でも10分でも立ち止まり、パソコンを取り出して書き込んでおけば、
いわばそれが情報発信のネタになってしかるべき、という話。
昨日は、インプットとアウトプットの割合について述べたが
何らかの刺激を受けているならば、そしてそれに対して感じる機関が鈍っていない限りは、
1000文字程度であれば、まとめる文章力は持っているだろうに、ということ。
体系づけた情報発信となると、これはこれで、ちょっとモードを切り替えないと、
いわばその日の気分で何とかなるような代物ではない。
(余談だが、そう考えると、新聞の連載小説を書いている人の頭の中は、
一体どういう構造をしているのか、と思う。
当然、それなりのストックをした上で、連載に臨んでいるとは思うが。)
それについても、幾つか考えておかなくてはならない、と思っているが、
まぁ、それはそれとして。
ともあれ、執筆時間帯を変えることで、ブログの質を変えることも出来るかも、と
思うようになったのがここ数日の話。
朝読書というのか、新聞の斜め読みかは知らないが、
午前中の頭がすっきりしている時間帯に、しかるべきインプットをして、
で、30分では厳しいかもしれないが、1時間程度のモノを考える時間があれば、
多少は質の良い情報発信ができるようになるかな、と、思ったような次第。
せっかく続いているブログなのだから、中途半端なところで中断させてしまうのももったいない。
で、同じ情報発信ならば、雑文というか、つまらない日記代わりのものよりは、
もう少し質についてこだわるべきだよね、という話、であった。
さっそく明日から挑戦してみるつもり。
質の差へとうまくつながってくれればよいのだけれど……。