GW直前恒例の(?)一週間ほどをかけての東日本大震災現地踏破2日目。
といっても、今日は日曜日。
期せずして半ば観光モードとなったのだが、良き友人のおかげで大変充実した仕込みとなった。
昨日に引き続いてお世話になっているNEXCO東日本仙台支社のIさんが車を出してくれて、
こちらも昨日に引き続いての山元町職員Kさんと共に、石巻・万石浦方面へ。
海産物は総じて大好物としている「旅の坊主」なれど、残念ながら当地の「かき小屋」を訪れる機会には恵まれず。
「牡蠣はRのつく月に食べるもの」と聞いていたこともあり、
GW直前のこの時期では、今シーズンの営業は当然終わっているのだろうなぁ、と思っていた。
ところがさにあらず、であった。
Iさんに連れて行ってもらった「かき小屋渡波(わたのは)」の店主寺岡征己さんによれば、
秋はともかく、春・夏・冬は牡蠣の旬とのこと。
石巻と女川の間にある万石浦は牡蠣の名産地で(垂下式牡蠣養殖発祥の地でもあるのだそうな)、
10月末から翌年8月頃まで、この「かき小屋渡波」では万石浦産の1年モノをいただけるとのこと。
というので、3人してたらふく万石浦産の焼きガキ&雄勝湾産の生ガキをいただく。
大変美味でした&満腹になりました。
腹ごなしに、というには多少ハードなれど、その足でさらに、新装なった女川駅周辺を訪問、さらに石巻の日和山に登る。
女川駅周辺の復興イメージは、これは強烈であった。
コンパクトな、かつ、しっかりとした考え方の存在を感じられるような、
そのようなまちが出来上がりつつあった。
今まで上っ面しか見てこなかったことを深刻に反省……。
誰がこの種の「絵」を描いたのか。都市計画家は誰で、コンサルはどこなのか。
そのことをしっかり調べなくては&ぜひ話を聞かなくては、と思うような、
久しく感じたことのなかった感覚が出てきた。
(その理由を後で教えてもらって「あぁ、なるほどうそうだったのか!」と腑に落ちるところあり。)
(それについては、また改めて。)
石巻・日和山に登るのは何回目かだが、さだまさしの小説『風に立つライオン』を読んだからには、
ここに登ることが一つの「原点の確認」になりつつある。
小説の力、というもの、なのかもしれないが。
充実した6時間ほどの時間を過ごした後、お二方と別れてホテルに戻り、ネパールの状況等を確認。
現在進行形の緊急援助の段階で支援できる部分は、残念ながらほとんどない。
しかし、ここから先、復旧・復興へと展開していく中で、
ネパール・カトマンズと国際防災協力についてユニークな経験を持つ身として、
知恵を振り絞るべき何かしらがあるはず、と思っている。
その後、またいろいろと刺激的な時間はあったのだが、それについてはまた改めて。
といっても、今日は日曜日。
期せずして半ば観光モードとなったのだが、良き友人のおかげで大変充実した仕込みとなった。
昨日に引き続いてお世話になっているNEXCO東日本仙台支社のIさんが車を出してくれて、
こちらも昨日に引き続いての山元町職員Kさんと共に、石巻・万石浦方面へ。
海産物は総じて大好物としている「旅の坊主」なれど、残念ながら当地の「かき小屋」を訪れる機会には恵まれず。
「牡蠣はRのつく月に食べるもの」と聞いていたこともあり、
GW直前のこの時期では、今シーズンの営業は当然終わっているのだろうなぁ、と思っていた。
ところがさにあらず、であった。
Iさんに連れて行ってもらった「かき小屋渡波(わたのは)」の店主寺岡征己さんによれば、
秋はともかく、春・夏・冬は牡蠣の旬とのこと。
石巻と女川の間にある万石浦は牡蠣の名産地で(垂下式牡蠣養殖発祥の地でもあるのだそうな)、
10月末から翌年8月頃まで、この「かき小屋渡波」では万石浦産の1年モノをいただけるとのこと。
というので、3人してたらふく万石浦産の焼きガキ&雄勝湾産の生ガキをいただく。
大変美味でした&満腹になりました。
腹ごなしに、というには多少ハードなれど、その足でさらに、新装なった女川駅周辺を訪問、さらに石巻の日和山に登る。
女川駅周辺の復興イメージは、これは強烈であった。
コンパクトな、かつ、しっかりとした考え方の存在を感じられるような、
そのようなまちが出来上がりつつあった。
今まで上っ面しか見てこなかったことを深刻に反省……。
誰がこの種の「絵」を描いたのか。都市計画家は誰で、コンサルはどこなのか。
そのことをしっかり調べなくては&ぜひ話を聞かなくては、と思うような、
久しく感じたことのなかった感覚が出てきた。
(その理由を後で教えてもらって「あぁ、なるほどうそうだったのか!」と腑に落ちるところあり。)
(それについては、また改めて。)
石巻・日和山に登るのは何回目かだが、さだまさしの小説『風に立つライオン』を読んだからには、
ここに登ることが一つの「原点の確認」になりつつある。
小説の力、というもの、なのかもしれないが。
充実した6時間ほどの時間を過ごした後、お二方と別れてホテルに戻り、ネパールの状況等を確認。
現在進行形の緊急援助の段階で支援できる部分は、残念ながらほとんどない。
しかし、ここから先、復旧・復興へと展開していく中で、
ネパール・カトマンズと国際防災協力についてユニークな経験を持つ身として、
知恵を振り絞るべき何かしらがあるはず、と思っている。
その後、またいろいろと刺激的な時間はあったのだが、それについてはまた改めて。