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豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

今の自分が出来るまで…東京都内~羽田空港~函館空港~北斗市

2015-11-21 17:29:30 | ファース本部

今日の午前中は江東区清澄の福地家親戚宅を訪ね叔父、叔母の仏前に焼香してきました。
昭和42年、数人の仲間と上京して福地建装を創業し、再来年で50周年を迎えます。
その当事に世話になったのは、福地家から高橋家へ嫁に出た従兄妹でした。
年齢が30歳上なので自分にとっては叔母さんです。名前が雪江なのでユキ叔母さんと。

ユキ叔母さんの娘は、藤間流家元、尾上松緑のご子息に嫁ぎ、清澄の自宅には多くのお弟子さんの通う稽古場があります。今日はその稽古場のある家を訪問してきたのです。
ユキ叔母さんの旦那様は、社員200名の自動車部品の会社を経営しておりました。
私は、その叔父さんから工場の一部を借りて独立したのが昭和40年代の初期でした。

その叔父は亡くなり現在は、甥御さんが立派に経営を継続しております。
ユキ叔母さんは、福地家に男の子達が少なく、福地の家系が無くなるのを危惧しており、
福地家の男の子と言うこともあり、私の事はとても気に掛けてくれたようです。

福地の家系にはお世話になった覚えはあまりありませんが、高橋家に嫁いだユキ叔母さん、そして叔父さん家族には、足を向けられない思いばかりです。
その清澄でユキ叔母さん、叔父さんの墓守をしているのが娘さん家族です。
自分とは従兄妹のような関係で、今日は昭和42年当時の思い出話をしてきました。

鉄骨トビ職で独立した当時の私は、ニッカポッカの作業服を着て、荒くれモノたちの仲間と仕事をする姿を見ても、疎ましく思ったことなど無かったと言います。
ユキ叔母さん、叔父さんが元気な時に顔を出す機会は少なかったのですが、皮肉なことに、亡くなってからご焼香に伺う回数が多くなったと思います。(写真は家に隣接する清澄庭園)

「お世話になった」と、言葉では簡単に言えますが、今ある自分の根源部分に関わってくれた人のことは、いつまでも心の中に深く刻み込まれています。
今日は、時間の隙に焼香ができて従兄妹ご夫妻とも、いつも異なる次元の話が出来ました。

さて、東京より気温が13℃低い北海道ですが気温差はあまり気になりません。
しだいに鈍感になってきたのでしょうか……明日はファースの家の上棟式があります。

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