NHK日曜夜7時半からのダーウィンが来た いきもの新伝説 9月2日は、ハリーポッターの手紙を運ぶ”ヘドウィッグ”の仲間、シロフクロウであった。
北極圏のツンドラ地帯で短い夏に繁殖活動を行っている過酷さが描かれていた。
食料を求めて、お父さんフクロウの大遠征、過酷なえさ捕りで嫌気がさして?育児放棄も有りというお父さんに負担をかけないための、母子フクロウの大移動。
雛の中には、発育が悪い子もいて、母鳥は食べさせようと元気な雛から奪って与えても、また奪われてしまい、さらに弱った雛を寒さから守るために自らの羽の中で保温しても生きながらえられなかった雛を、次には食料にしていた。
この映像を見ていて、武田泰淳作の戯曲”ひかりごけ”を思い出した。
敗戦直前の北海道の羅臼町で発覚した、先に死んだ仲間の船員の遺体を食べて生き延びたという、日本陸軍の徴用船の難破事件である。
何とか生き延びさせようとした親鳥が死んだ雛を生きている雛に与えることは、神から許されている野だなと言う気がしたので、極限状態であれば、死んだ人身は栄養補給源としての価値を与えられて、人食も許されるのかもしれない。
極限状態とはという、大命題があるわけです。
人食しないまでも、殺人で生き延びようとする人は枚挙にいとまがない現実があります。
ちなみに私は、生き残ったときの精神状況を鑑み、人食してまでも生き延びることはしない、
緊急事態で、人を見捨て我一人生きる道は選ばないと種々の場面を想定して、出来る方策の準備をしていますが、極限状態にない”今”の覚悟ですからどうなりますか。
劇団四季の”ヒカリゴケ”、第2幕の 金森 馨による舞台演出は、壁が訴える。日下武史の独白と相まって、思考することを要求された。http://www.shiki.gr.jp/applause/hikarigoke/introduction.html
ヘドウィッグの最期に発せられた、ハリーの叫び声も胸に詰まった。
記憶と思考の錯綜を呼び出したダーウィンが来た のシロフクロウでした。
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