連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

理研笹井氏の自殺 自殺は神の道から外れている 

2014-08-06 20:10:27 | 日記・エッセイ・コラム

”自殺” の報道に、流れ過ぎ去っていく日常の他人事の一コマとして見過ごせない自分が、

このブログ記事を書かせている。

オリジナル、再現性のあるデーターを信条としての研究者、指導者であった笹井氏。

STAP細胞の、データーが見つからない、再現性がない事実は、

笹井氏にとっては、全く異質の世界に放り込まれた驚愕の事実が明らかになる毎日の半年ではなかったのでしょうか。

データーがあれば、直ちに暗雲が晴れるはずなのに、

信じていたデーターがない。

それを信じて、支持していた笹井氏。

小保方氏との接点がいかに生まれ、信用していったのかなど興味が尽きないが

笹井氏の自殺で、推測の域を出ない世界になってしまった。

人は、心の不思議な真実を語る、語れるとは限らないので、

笹井氏が生存していたとしても”どうして?”は解消されないかもしれないが。

STAP細胞のセンセーショナルな発表報道から一転して

コピーペースト画像が判明

次々と判明した同じ画像の使い回し。

小保方氏の、”コピーペーストをしてはいけないとは思っていなかった”

発言は驚愕であった。

ハード面から、データー画像作成の苦労は並大抵でなかった。

コピーペーストなどとんでもない時代は、

スライドは、原版作成、フィルムに落として現像してもらってで、

今のスライド、PCから直接投影できるようになり、さらに写真加工が容易になった!

この時代になじんでいない世代にとって、

今回の小保方氏の論文作成態度コピーペースト、使い回しは、

思考、考慮の範疇にはない、思い浮かばない事態。

オリジナルでなければならない!

実験データーは、信頼の上で作成され、再現できなければ、科学論文としての価値はない。

笹井氏は、52歳。研究者として駆け出し時代1980年代は、

どんな画像作成機器があっただろう?

macが出始めたころかな?

いい気になってつぎつぎと加工していくうちに突然クラッシュ”!

すべての努力が水泡と帰した頃かな?

コピーペーストなんて、思いもつかない頃かな?

今の若手研究者の常識的発想は、想定外かもしれない。

想定外だからこそ重用される若手。

1流誌に要求されるオリジナリティ、慎重さに対するギャップが、

笹井氏を自殺にまで追い込んだ一要因ではないでしょうか!

どんなに追い込まれていても自殺は、自分だけの開放で、許しがたい!

命は授けられたもの。神の判断にゆだねられている。

死が訪れるまでいきる義務がある。

生きたくても、生かしてあげたくても、

死が訪れた悲しみを深く知る一人として、自殺は許せない。

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