連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

みんな治してあげたい

2017-11-18 08:56:48 | 血液専門医宇塚善郎
朝のながら見の”わらてんか”で、「お子たちにも、おなごさんたちにも、みんなに……」の、みんなにのことばから浮かび上がってきことを書きます。

恩師宇塚義郎先生は、拡大してモニター画面に映し出すアシストビジョンを、生活の主要な場所において、高度の視力障害に対応して、読み書きを続けていました。
自分の視力に合わせて調節できる顕微鏡といえども、視力低下で、微細な変化が確認できず、私にまかせるようになり、
その日の光の具合で、わずかに輪郭が認められるほどの視力になり、
大好きな読書も不可能になり、
いろいろなやりとりのなかで、
患者は、みんな治してあげたかった。”ゲーテの最期のことば、ひかりをを念頭に置いて、”死ぬ時に、よく目が見えていてもしょうがない!”と。
顕微鏡で、両眼視力を失ったことに対する、愚痴は、生存中には一言も発せず、
楽しい空想の世界で時間を過ごされていました。
視力は失ったのですが、手の触覚、分解能力は優れていて、どうしても視力が必要な診察は、私でしたが。
丁寧な触診に、新患の方は、いつも問診だけで、診察らしい診察は、初めてと感激されたかたも多数いました。

視力障害の原因は、片眼の顕微鏡のためです。
40台には、右眼はすでに失明していたということを後日教えていただきました。
よくよくのぞき込み、右目は瞳孔散大、左右の色が異なっていて!
片目顕微鏡時代に血液学を研究推進された大家には、やはり視力低下、失明の先生も。
内視鏡で多数症例を検査した先生の片目失明報告後、モニター画面で確認しながら操作の時代に移ったと記憶しています。

恩師宇塚善郎先生は、左目のみの視力ですが、両眼顕微鏡で、東北大学第3内科勤務中は、担当したすべての患者の骨髄、末梢血液塗抹標本を、御自分で顕鏡。毎週月曜日の、血液ミーティングに備えていらっしゃいました。1991年、仙台血液疾患センターを開院後も、骨髄塗抹標本は、すべてご自分で。新患で、診断確定のためには、末梢血も必ず。

顕微鏡観察は、個々の患者の、体内変化を直接観察できるのですが、
長くなると、目は滲み、視力は低下することを実感します。
人工知能(AI)時代をむかえ、微細なビジュアル観察ができるモニターをみながら、AIの診断をチェックするだけの時代が来つつあり、
時代を担う、若手の医師は、顕微鏡による視力障害は、過去のものとなることでしょう。

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