連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

お盆の過ごし方

2013-08-16 10:42:47 | 日記・エッセイ・コラム

お盆は、先祖と共に過ごす感覚が定着して、行動の規制をしていますかしら?

学生時代は、夏休み期間中dなので強く意識しないままにお盆行事の中にいたきがし、ます。

医師となってから、特に血液を専門分野と定めてから、

親の老いを感じるよになってからは、帰省しよう!の決意をかため、

わずかなチャンスを見いだして、不意に帰省を決行(このような言い方しか出来内過ごし方をしてきました。

父が冥府に旅立ってから、家を守ってきた母があの世に去ってから10年。

冠婚葬祭に列席するのがお勤めと、

特に仏教行事にレジャー的時間の過ごし方を取り入れている東京の知人が同道していたので、

13日夕方に、お墓にお迎えに行き、

その後、空き家となっている家に戻り、

乏しい材料から必死の思いでお迎えの精霊膳をしつらえ

迎え火を焚き(13日中に迎えられ、安堵し、

私らしく、夜空を見上げペルセウス座流星群を待つうちに、疲れ切って寝付き、

14日の日の出と共に目を覚まし、朝の精霊膳をしつらえ、

東京に夕方前に戻ることを希望する知人に合わせ、

昼前には、位牌と共に、汽車に乗る慌ただしい過ごし方をしてきました。

東日本大震災後の慌ただしい激変の中にあった病院のやりとりで帰省出来ず、

2012年も、まだまだ尾を引いていて帰省するどころでは無い時間の流れの中にいました。

3年ぶりとなる今年は、

14日の昼間での勤務終了後、14時38分発の”こまち”に乗車。

8月9日の豪雨でそぎ削られた区間も走るので、遅れること1時間。

運行しているだけで有り難い光景が広がっていました。

秋田駅下車、食材調達はあきらめ、ひたすら道川の家にむかいました。

なんとかかんとか、夜中前に精霊膳をしつらえました。

母が亡くなってから始めて、一人での帰宅で、しかも夕方まで滞在出来る余裕の休日。

母の陣地であった台所の整理では、

沢山の道具を駆使して繰り出した料理の数々を思い出させる調理具、

使い残しの沢山の乾物、調味料。

私の食い初めの茶碗、箸も。

母に敬意をを表し、今しばらくは名残をとどめることに。

そして、母の部屋では、時間が止まったままの2003年12月のカレンダー。

今までとは違う体の衰えを感じて、

冬の間だけの、仙台移住とは思っていなかった母の決意で、

自ら整理をして、縁の方々に引き受けて頂いたおかげで、

今も、母を偲んでいてくれます(母の24時間を知らない遺族による遺品分配よりずっといい形と思います)。

カラになったタンスに囲まれて

どっしりと残っている日常の庭作業の道具。そのなかには、父と連れだった名残も。

非常持ち出しリュックサックと非常食も、ベッドの枕元に。

時間が止まったままの様子と、最近迷い込んだ子猫の騒動による慌ただしい変化も。

1日滞在出来る余裕を実感して、17時10分発の”こまち”で帰路に。

田沢湖盛岡間の15日帰路の映像

20130815_182631_2 線路下の土嚢の積み上げ

20130815_182640_2 流木

翌日は、17時10分発の”こまち”の車窓からの携帯電話画像。

復旧にした変化がわかりました。遅れは8分。土嚢も幅広くなっていました。

14日は、停車している程の速度だったので、鮮明停止画像が撮れただろうにもかかわらず

災害の大きさ、災害にあった人に思いを寄せ、懸命に復旧に従事している姿に圧倒され、

運行している事に感謝、感謝で撮影など思い浮かびませんでした。

新幹線の速度を反映した映像になってしまった。

お盆は、眷族の反映を願い、災害を乗り越える願いを込めた行事だろうなと思いいたり、

子孫繁栄を願ったであろう両親には、

種々の事情のはてに独身でまもなく生涯を終える”わび”を心の中で伝えた。

お盆とは、私にとっては、物憂い、身のやり場のない気持ちが起きる非日常のあの世に近い世界が毎年広がる。

やりたいことがあって過ごしてきたわけでもないので、後悔することもない。

毎日切羽詰まって、やりくりしながら過ごしてきた。

戻りたい刻は?と訊かれれば

両親が居るのが当たり前で、両親の苦労などは思いもよらなかった、

遊び、お腹がすいたよと食べ物をねだり、眠くなったらば、寝呆うけた幼き日には戻りたい。でも時間は止まらないで進むのであれば、今のままに最期の日を迎えて良いなと思う。

災害で突然、思いもやらない最後の迎え方でも良いなと。

これは、卒業直前の衝撃の一日に起因しているのかもしれない。

お盆は、子孫繁栄を味あわせなかった申し訳なさで、両親、祖先を思う日でした。

まだそう思える心身を持ち続けている今でした。

終戦記念日、敗戦を宣告した日でもありました。

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