研究の成果が”超一流誌に採用される内容であれ”と思いながら、
地味な、同じようなことの繰り返しの引きこもり研究生活を続ける。
動機は、”人の役に立つ” で、
私は,医師なので、”病気が治る” につながる日常診療の延長線上にある研究を続けている。
最初のSTAP細胞を報道で知ったときは、すばらしい!次の発展への期待が膨らんだ。
投稿した画像が加工されている!(なにそれ!ありえない)
卒論と同じ画像。細胞の出自が異なる!(natureに投稿する緊張感がない!えっ!)
研究の最前線は、初めであることが重要(二番煎じの落差は無限大)。
刊行されるまで、オフレコは常識。
特許取得は、未公表のみ。公開データーは、共有のものとなる。
細胞も、求めがあれば、提供義務がある。
再現性は当然のこととして要求される。
再現性は、物理学的にはある条件が整わないと再現困難なので、実証には年月を要することは希ならずあるので、信じられず、狂人扱いにされ不遇な生涯をおくったり、汚名を晴らすのに、一門の弟子が100年を要したという報道にも接するが、
今回のSTAP細胞は、それとは別の背景が脳裏を横切る。
先陣争い。成果至上主義。脚光優先。
その先には、膨大な研究費を含めた金の取得がある。
小保方さんの異議申し立ては、言葉は無用。
STAP細胞作成の再現のみ。
これが、理科系研究者の表現の全てであると思うが。
若手研究者は、画像加工が日常化しているような報道を見聞すると、
注目を集めない、そこそこの論文には、仮説ありきで、
本質的な改変がされているのもあるのかもしれませんね。
このような改変された研究は,継続性が出てこない。
理科系の仕事は,内容的一発勝負はあり得ないはず。
論文取り下げに応じる必要はない(STAP細胞は作り出せたという大前提の上で)。
内容の事実を、明らかに出来るものがあればすればよいだけのこと。
取り下げたら、いいとこどりされて、葬り去られるだけ。
英語が母国語でないという、ハンディキャップはとてつもなく大きい。
特に、先陣争いをしなければいけない研究論文では。
科学論文が、スキャンダラスな報道の耳目を集める今の事態は、
未曾有な事態ですね。勝てば官軍、負ければ賊軍。有ること無いこと書かれ、報道され。
小保方さん、STAP細胞があるならば
乗り越えて、人に光を与える仕事としてす移行し続けてほしい。
共著となりながら、不慣れな若手研究者をサポートもせず、今になっていい子ぶるなんて。
一人だけ切り捨てて、理研の保身的にことを済まそうとしているような発表内容も唖然。
理研、共同著者は自浄できるか?
20年以上前から、論文の盗用、共著者については、
検証され辞職に追い込まれているのに。
人間のさがの一つで亡くならないのかもしれません。