すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第283号 公務員制度改革

2005-11-24 10:07:00 | Tokyo-k Report
【Tokyo】「公務員制度改革」が少しずつ動き始めたようだ。日本の閉塞状況を生み出している元凶は、肥大化しすぎた公務員制度であるというのが、私が長年、危惧していることであったから、そこにメスを入れようという動き自体は歓迎である。しかしこれは、道路公団民営化や郵政民営化など、個別の改革どころの話ではない、戦後日本の総体をひっくり返すことであり、簡単に行くはずがない。大きな期待は持たないほうが無難だろう。

公務員制度は共産主義国家である。こんなことを言えば、いったい何を考えているのだと思われるだろうが、なぜ公務員制度改革が言われるようになったかを分析すれば、それはうなずける。つまり、思想とは裏腹な現実に自壊していった、ソ連などの共産主義国家を思い出してみよう。理想社会を目指していたはずの共産主義国家が、結局は官僚による官僚のための国家になってしまった。それが崩壊の真因である。

資本主義的自由主義社会でも、社会の歯車として公的サービス従事者は必要である。しかし「公」のための仕組みであるはずの制度は、しだいに公務員になって安逸を求めることが目的の「私」に変節していく。これは人間の持つ弱さであり、「そんな風になってはいけない」などといっても無理なのである。公務員たちは自己保身のために仕事を増やし、それを理由に仲間を増やす。そして手当てを考え出して生活の安泰を確保する。

チェックするはずの議会は、公務員たちが総力を挙げて持ち上げ、いい気にさせてしまうから、あとはむしろ公務員の応援団になってしまう。そうなれば小うるさいマスコミなど、適当にあしらっておけばいい。どこかに分岐点があって、その一線を越えてしまえばあとは公務員天国が自己増殖していく。日本はそうなってすでに長い。生涯設計には当然、天下りによる収入が含まれており、天下り先が不足すれば自分たちで作るだけのことだ。

こうした仕組みを社会が黙認している以上、公務員制度が肥大化し、社会の無駄を増やしていくのは必然だ。人間は「公」より「私」へ、易きに流れるものなのだから。「国民への奉仕」「地域社会の建設」に燃えて「公」の世界に飛び込んで行ったとしても、既得益という制度の中に埋もれているうちに、結局は「私」に組していく。それを「いけない」などといっても虚しいであろう。仕組みがそうなるようにできているのだから。

共産主義国家はそうやって崩壊していった。では日本の公務員制度は崩壊するのか。それはない。自由主義国家は崩壊しないからである。崩壊しないけれども破産する。今、公務員制度改革が言われるまでになったのは、金がなくなったからである。理由はただひとつ、それだけである。「おかしいぞ」とみんなが感じていても、カネが続くうちは改革の声すら出なかった。財政が破綻寸前にまで悪化したから、仕方なく改革なのである。

だから痛みは公務員以上に国民弱者に向かう。金がなくなった責任を、公務員は取る必要がない。そもそも公務員に「責任」はないのだ。「責任感」すらないかもしれない。責任は最終決定者の大臣や執行部にあり、責任はそれを認めた議員たちが取ればいい(だから誰も取らない)。自分たちの給料も減るかもしれないが、それは「下層民」を痛めつけたことが余り目立たないようにするためだから、お付き合いのようなものだ。

公務員は「公」に殉ずる気概ある人材を集めよ、などとスローガンを立ててみても、そんなことはハナから無理に決まっている。だから公務員数の削減を数値目標として掲げるくらいしか今回の改革もできないだろう。それでも改革はしないよりはした方がいいのであって、税金の無駄遣いがいくらか減るだろう。人間が作る社会など、所詮その程度のもので、「完全なる公務員制度」などというのは望むべくもないし、あると言う方が危険だ。
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