すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1468号 「飛騨」とはいったい何だろう

2016-07-16 21:18:20 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】「飛騨」とは何か。この列島で「最も山深い国」のように私には感じられる。単なる「奥地」ということではない。京の都からさほど遠くなく、古くから人の暮らしがあったのだろうし、むしろ蓄積された文化を秘めてさえいるようでもある。だから信濃とは違う陸奥とも異なる、「得体の知れない山深さ」を憶えるのだ。飛騨は古くは斐太と書いた。ヒダは山襞のことだろうか。越えても越えても次のヒダが現れるように。



平成の大合併は、結局は市町村を律令時代の「国」に収斂させるものだったのだろうか。飛騨国だったエリアには、たくさんの町村があったのだろうに、現在は高山市・飛騨市・白川村の3自治体に落ち着いている。私たちは白川郷を出て高山に向かう途中、白壁土蔵の街並が美しいという古川町に立ち寄ろうとしているのだが、その古川町がナビで確認できない。合併によって飛騨市になったことを知らなかったのだ。



ようやく飛騨古川駅の所在を見つけ峠を越すと、私の飛騨のイメージが払拭されるような広々とした空の下に出た。飛騨の大動脈である国道41号線とJR高山線が平行し、それらに絡み合うように宮川が北へ流れて行く。旧古川町の中心域である。律令時代、この地は都への道のりが余りに険阻だったため、庸・調は免除された。その代わりとして徴用されたのが木工建築技術者で、それが後の「飛騨の匠」に繋がった。



あいにく「飛騨の匠文化館」は休館していたものの、瀬戸川沿いの白壁土蔵街を歩くと、立派な木造商家がどっしりと並んでいる。軒下の腕肘木に棟梁の印である「雲」が彫られているのだそうだが、私はむしろ、垂木なのか軒桁なのか知らないけれど、軒下に突き出た材木の先端を白く塗って建物の装飾としていることに眼が惹かれた。重々しい瓦屋根が、白のリズムで軽やかに見える。これも飛騨の匠の意匠なのだろうか。



ふと気がつくと、街は全くの無音である。軒を連ねる商店街なら、何かしらの音が響いて来るだろうに、自分の鼓動が聞こえて来るかと思うほどである。人通りがなく、車も通りかからないからなのだろうが、昼下がりのこの時刻に、こんなに静かな街を私は知らない。瀬戸川を泳ぐ鯉たちでさえ、行儀がいいのか遠慮しているのか、水音ひとつ立てない。どっしりと腰を据えた家屋で、皆さん何をしておられるのか。



白壁を映して流れる瀬戸川は、荒城川に合流して宮川に注ぐ。そしてこの宮川は、北上して富山県に入り、神通川となって富山湾に注ぐ。律令の国境は分水嶺に従うことが基本だったと思われる。だから飛騨は富山県に組み入れられても不思議はなかったのだろうが、その域内に分水嶺を抱えているからややこしい。ともに飛騨の中央部から流れ出す飛騨川と宮川は、片や太平洋へと下り、一方は日本海の水となるのである。



分水嶺(分水界)は日本列島の場合、降った雨水が日本海に流れるか、太平洋へと下るかの分かれ目をいう。日本山岳会は会員6000人が参加して3年がかりで踏査、宗谷岬から鹿児島・佐多岬までを一本の線で結んだ。その地図を眺めていると、自分の住む世界が新しく見えて来るような気分になる。そしてそのライン上で生きている飛騨の人たちは、物音一つたてずに静まり返り、どっしり腰を据えている。(2016.6.23.)









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