すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1467号 白川郷、山の暮らしに合掌す

2016-07-16 08:48:04 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】ハイウエーを疾走して来て、初夏の光溢れるこの郷を展望すれば、「まあ、奇麗!」「いいところねぇ」などと歓声を上げたくなるのも分からないではない。世界遺産・白川郷である。しかし、ぐるりを山々に包まれて、隠れ里のごとく踞るこの小宇宙に、厚く雪が積もった景色を想像してみるがいい。踏み分け道しかなかった時代、孤絶した山中では生きることで精一杯だったろう。その厳しさがこの特異な集落を生んだ。



私たちの車のカーナビはしばらく更新されていないので、東海北陸自動車道は途中で消える。自動車道が延伸されたことを知っているから、そのまま快適にドライブを続けたのだが、ナビの指示に従っていれば、御母衣ダムに出て有名な荘川桜を眺めることができたのだなと、今になって悔やむ。利便性と旅の風情は、しばしば相反するものだ。というわけで白川郷ICで自動車道を降り、「荻町合掌造り集落」に行く。



巨大な茅葺屋根構造で、山間の生活と生産を同時に完結させてきた白川郷の家屋を、「合掌造り」と命名した知恵者は何物だろうか。この「合掌」のひとことで、厳しい自然を生き抜く人間の姿勢が伝わってくる。昭和10年の来日時にここを訪れたブルーノ・タウトは、この家屋を「建築学上合理的であり、かつ論理的である」と世界に紹介してくれたが、「合掌」に込められた日本人の死生観までも感じていただろうか。



この山深い郷が、12世紀に編まれた今昔物語に出てくるとは知らなかった。「飛騨の山中に迷い込んだ旅の僧が、白川谷で郷人に迎えられる。ご馳走攻めにされて僧はどんどん太ったが、それは山の神の生贄にするためだった。気付いた僧は山の神の老猿を生け捕りにして懲らしめ、妻帯して郷の長者になった」。山霊や妖怪に怯える郷人を、文明が開化させる説話だろうか。12世紀、ここにはすでに代々の暮らしがあった。



古代的迷信に囚われていた白川谷の人々を文明社会に解き放ったのは、室町時代に伝わった浄土真宗の教えらしい。そのことを考えるには、われわれがすでに中央分水嶺を越えていることに留意しなければならない。つまり白川谷を貫く庄川は、県境を越えて富山県に入り、砺波平野を北上して日本海に注ぐのだが、越中は門徒王国である。その川筋に宗門の法義が浸透したことと、合掌造り文化の点在は無縁ではあるまい。



白川郷集落の中ほどに、浄土真宗・明善寺がある。本堂は豪壮な茅葺で、庫裏は典型的な合掌造りである。庫裏は中二階も含めると5層の構造で、巨大な欅や檜の丸太が、縄で締められ大屋根を支えている。中央部は1階からの吹き抜けになっているため、養蚕などの作業用スペースは外観よりは狭い。急勾配の切妻屋根は雪を落とし、人々の冬ごもりを守る。命の屋根は数十年に一度、村人総出の「結」で葺き替えられる。



白川郷を歩きながら、日本語より外国語が多く聞こえてくることに驚いた。韓国・中国・タイ・フランス・ドイツ・米国の人々のようだった。日本でも特異なこの郷を訪れて、彼らは何を感じているだろう。集落を見晴らす高台の展望台では、大勢の観光客が写真を撮り合っている。自分とは無縁の世界と思っているかもしれないけれど、数十代を遡れば、誰もがこうした生き様を経て今があることを忘れている。(2016.6.23.)














コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第1466号 こういう街だった... | トップ | 第1468号 「飛騨」とはいっ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Tokyo-k Report」カテゴリの最新記事