すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1379号 《無》から《樹》を生む

2015-06-25 17:44:13 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】今朝、宅急便が届いた。新潟県燕市の女性からの荷物である。新聞半截ほどの包みには「工芸品・取扱注意」のシールが貼ってある。一瞬戸惑ったものの、すぐ「ああ、従兄からだ」と気が付いた。送り主の名は従兄の奥さんだ。「そうか、できたか!」と喜んで開封し、現れたのが写真の《木版》である。私の名前の1文字《樹》が彫り込まれている。

従兄が「好きな文字を彫ってもらうから、希望はないか」と聞いて来たことがあった。「そうしたものを座右に置くのは良いものだぞ」というのだ。自分にはそうした趣味はないと思いつつ、奨められるまま壁に掛けてあった書をコピーして送ったのだった。それは高名な書家が私のために描いてくれた《樹》である。

従兄は私より9歳年上で、大勢いる従兄姉の中で最も年長者だ。私などは年の離れた弟のようなもので、いっしょに遊んでもらった記憶すらない。農家を継ぎ、米づくりを続ける一方で、建築関係の事業を興し、経営者の一面も持つ従兄である。その従兄が、あるとき「おい、《無》という文字の最も良い書を知らないか」と問い合わせて来た。

「オレの人生観にふさわしい言葉は《無》だと悟った。それを木に彫って、座右に置きたい」というのだ。「仕事柄、いろいろな人に接する機会の多いお前なら、素晴らしい《無》を見つけてくれるだろう」と、私のことを思い出したらしい。

たまたま書道団体の大規模なパーティーがあって、出席しなければならなかった私は、同じテーブルに就いた書家のKさんに雑談まじりに従兄の話をした。Kさんは前衛書をよくする団体を率いる、書道会では高名な書家である。かねて私は、その温厚で紳士的なお人柄を尊敬していた。Kさんは即座に「それなら《蘭亭序》がいいでしょう」とアドバイスしてくださった。

王羲之の有名な作品《蘭亭序》は、書に疎い私も知ってはいたが、その300余の文字の中に《無》があるとまでは知らなかった。さっそくその《無》を書道関係の専門書から探し出し、コピーして従兄に送った。彫り手は知り合いにいるのだというが、難しいのは良い板を見つけることだと、銘木店を探しまわったようだ。そして「おかげで素晴らしいものができた」と連絡して来たのはだいぶ後のことで、「お礼にお前さんの好きな字も彫ってもらおう。何がいい?」と言う。



実は私は書家のKさんと話したときに、「あなたはどんな文字が好きですか」と聞かれ、自分の名前の一部である《樹》と応えた。するとKさんは「分かりました。書きましょう」といって、数週間後に《樹》の書が届いたのだった。だから従兄には、その《樹》を送った。

それからまた何年も過ぎた。従兄から「ようやく満足できる木が見つかった。さっそく彫ってもらうことにしたが、擦れていたりでとても難しいそうだ。時間がかかるかもしれない」と連絡があった。そして今朝、忘れかけていた《樹》が届いた。王羲之の《無》を贈ってから、かれこれ10年にもなろうか。

従兄は、彫りのできばえもさることながら、ついに見つけた材が「ケヤキの古木中の古木」だということが嬉しかったらしく、フシの位置とその間の「チヂミ目」を図示し「左下より右上まで竜がのぼって行く構図をイメージして眺めるように」と解説を付けてくれた。そして「約束がはたせホッとしています」と手紙が添えてあった。



私の《樹》は、恐れていたようなゴテゴテした飾りはなく、スッキリと彫られている。Kさんの落款まで忠実に彫り込まれ、まるで板の上に刷り込まれたかのようである。板は厚さが5センチもあるようだからからずっしりと重く、台の上にスッキリと立つ。「そうした趣味はない」と思っていたことは棚上げにして、部屋の飾り棚の中央に飾ることにした。





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