みちのくの山野草

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「10番稿」にしたのはそのせいですか?

2022-08-21 20:00:00 | 賢治の詩
《白露草》(2022年8月19日撮影、花巻)
間違いはいずれ正されるべきもの、と私は思う。

 かつての私は、「稲作挿話」(〔あすこの田はねえ〕)とか「野の師父」そして「和風は河谷いっぱいに吹く」等にはいたく感動したものだ。賢治と農民との交歓や賢治の稲作指導の凄さをひしひしと感じ取れたからだ。
 ところがこれらの詩篇には、先に述べたように、自然現象の虚構や推敲の際に収穫高の操作等があったことなどを私はある時点で知っしまったから、以前のような感動はもはやそれらからは得られなくなった。ちなみに、
⑴ 「稲作挿話」は〔あすこの田はねえ〕の雑誌発表形であり、賢治は収穫高の石高を増すという推敲をしている。
⑵ 「野の師父」においては、「二千の施肥の設計を終へ」と詠まれているし、巷間賢治は当時二千枚の肥料設計をしたと言われているが、それはどうも単純に信ずる訳にはいかないということを私は知った。それは、「旧校本年譜」の責任者である堀尾青史がある対談で、
――従来の年譜にあって、今度消えたものに、――本来なら昭和三年に出てくることなのでしょうが――肥料設計のことなんです。多くのこれまでの年譜には〝肥料設計は二千枚を超えた〟とあって、――これは賢治の詩から採られたのでしょうが――これが今回なくなっている。私もこの段階で肥料設計を二千枚も具体的に出来るかな、という気がしているのですが。もしかしたら印刷用紙が二千枚なのか……。
堀尾 二千枚を超えたかもしれませんが、よくわかりません。田圃一枚ずつ作っていくのだったらそうなるかもしれません。これも正確にしにくいので迷った末、やめました。
           <『國文学 宮沢賢治』(昭和53年2月号、學灯社)より>
と答えていたことを知ったからだ。
⑶ 「和風は河谷いっぱいに吹く」については、前回〝「べんぶしてもべんぶしても足りない」の「哀しさ」〟において述べたように、
 賢治がこの8月20日に目の当たりにしていた田圃の光景はとてもではないが、「べんぶしてもべんぶしても足りない」とは言い難い光景であったと判断できる。にもかかわらず、「べんぶしてもべんぶしても足りない」と賢治が詠たわざるを得なかったことに対して私は、賢治はやはり「詩人なのだ」と言い聞かせながらも、賢治の心の内を盗み見してしまったような罪悪感に襲われた(どうやら私は、「べんぶしてもべんぶしても足りない」の「哀しさ」を知ってしまったのかもしれない)。
からである。
 そこで、今回は賢治にこう問いたい。
 詩に虚構があることは当然だと思います。さりながら、私がこれらの詩篇にかつて感動したのはそこでは事実が詠われていると思っていたが故だったのです。それは賢治さんも理解してくださるでしょう。ですから、この詩篇における虚構は賢治さんらしくありません。とりわけ、「べんぶしてもべんぶしても足りない」とは言い難い光景であったはずなのに、「べんぶしてもべんぶしても足りない」と詠うことは賢治さんらしくありません。こんなことをすると、私のような単純な読者からは誤解されますよ。
 もしかすると、そのことに心を痛めていたから、後にこの篇みな/疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず』と記して封印した詩稿群、いわゆる「10番稿」の中に、〔あすこの田はねえ〕(「稲作挿話」はその雑誌発表形)「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」の詩篇も入れたのですか。
と。

 たしかに、「べんぶしてもべんぶしても足りない」と詠むことは、「心ここになき」ことと言えないこともない、と気づく。だから、「10番稿」にしたのはそのせいですか?、と問いたくなったのだった。

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