みちのくの山野草

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「賢治年譜」は一度一から出直しが

2022-12-03 12:00:00 | 「賢治年譜」一から出直しを
《 ルリソウ》(2021年5月15日撮影、岩手県)

 皆さんは下掲の表をご覧になって、妙だと思いませんか?




 これらが、私が渉猟してみた結果見つかった【賢治終焉(昭和8年9月21日)前々日、前日の面談について】の記載の一覧である。

 ところが、このことに関する『校本宮澤賢治全集第十四巻』所収の「賢治年譜」の記述は、
九月一九日(火) 祭礼第三日、この日夜半近く裏町のお旅屋を出、早暁、丘上の本殿へ還御する神輿を拝みたいといい、みんなで手伝って二階からおろし、門のところへ出て待っていた。東北の秋は夕方になると冷気があたりを包む。イチが心配して「賢さん、夜露がひどいんじゃ。引っこまってやすんでいる方がいいんちゃ。ほんとうにいいんか」と注意する。賢治はうなずき「だいじょうぶ、ええんすじゃ」と答え、じっと待っていたが、夜八時神輿をお迎えをすると拝礼して家に入った。
九月二〇日(水) 前夜の冷気がきつかったか、呼吸が苦しくなり、容態は急変した。花巻病院より来診があり、急性肺炎とのことである。政次郎も最悪の場合を考えざるを得なくなり、心の決定を求める意味で、親鸞や日蓮の往生観を語りあう。
 そのあと賢治は、短歌二首を半紙に墨書する。
 夜七時ころ、農家の人が肥料のことで相談にきた。どこの人か家の者にはわからなかったが、とにかく来客の旨を通じると、「そういう用ならばぜひあわなくては」といい、衣服を改めて二階からおりていった。玄関の板の間に正座し、その人のまわりくどい話をていねいに聞いていた。家人はみないらいらし、早く切りあげればよいのにと焦ったがなかなか話は終らず、政次郎は憤りの色をあらわし、イチははらはらして落ちつかなかった。話はおよそ一時間ばかりのことであったが何時間にも思われるほど長く感じられ、その人が帰るといそいで賢治を二階へ抱えあげた。…投稿者略…
九月二一日(木) 朝、医師の診察では「どうもきのうのようでない」とのことである。…投稿者略…
 午前一一時半、突然「南無妙法蓮華経」と高々に唱題する声がしたのでみな驚いて二階へ上がると、賢治の容態は急変し、喀血して顔面は青白くひきしまっていた。政次郎は末期の近いことを直感し、硯箱と紙をもってくるようにいいつけた。…投稿者略…(森『肖像』四三二頁、佐藤隆房『宮沢賢治』二五三頁)
              〈『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房、昭和52年10月30日)714p~〉
となっている(『新校本年譜』も実質的には同じだ)。したがって、

 現「賢治年譜」は肥料相談の来訪者があったのは20日だと断定している。言い換えれば、現定説は19日の来訪者については無視している。

のである。なぜこんなことが出来るのだろうか。あるいは、その根拠は何であろうか。「(森『肖像』四三二頁、佐藤隆房『宮沢賢治』二五三頁)」と註がしてあるものの、その両者を実際に見てみてもと、ともにその根拠を明示していないから私には全然納得できない。
 これがそうではなくて、たとえば、泉沢善雄氏の論考「賢治エピソード落穂拾い<2>」において紹介している高橋実氏の次のような、
 賢治死去の前日だと思いますが、仕事で出かけた父が『病気と聞いているがどんな具合か』と自宅に見舞ったところ、特別の人以外に会わなかった賢治が、鍛冶町の高喜ですと伝えたところ『高喜さんなら是非会いたい』と言って短時間だが面会したそうです。大分悪いように見えたということです。
            <『ワルトラワラ第二十二号』(松田司郎編、ワルトラワラの会)70p>
という来訪であれば常識的にはあり得ても、「どこの人か家の者にはわからなかった」来客に対して、賢治が「「そういう用事ならぜひ会わなくては」といって衣服をあらため、二階からおりて農民のまっている店先へ出た」などというようなことはほぼあり得ないではなかろうか、と疑問符をつけねばならない。それとも私には常識がないのだろうか。
 ちなみに、「高喜さん」とはこんな人のようだ。同じく泉沢氏の論考「宮沢町と十字屋」において次のようなことが述べられていて、
 賢治がレコードを購入するのは主に鍛冶町の高喜レコード店でしたが、この高橋家から宮澤家へ婿入りした弥兵衛は賢治の母、イチの曾祖父になります。その関係で高喜主人、高橋喜代治とは賢治同様、安太郎<*1>も懇意にしておりました。
              <『ワルトラワラ第三十七号』(松田司郎編、ワルトラワラの会)91p>
ということだから、「高喜さん」という人は、この高橋喜代治と同一人物と判断出来るし、賢治と高喜は懇意であることが示唆される。

 よって、

 常識的に考えて、この「高喜さん」のケースであればまだしも、「どこの人か家の者にはわからなかった」来客に対して、賢治が亡くなった前日に「「そういう用事ならぜひ会わなくては」といって衣服をあらため、二階からおりて農民のまっている店先へ出た」というケースはほぼあり得ないでしょう。
 だから、前掲のような現「賢治年譜」については一度一から出直すことが不可避でしょう。

と私は言わざるを得ない。

<*1:投稿者注>
 この「安太郎」とは宮澤安太郎のことであり、賢治の従兄弟の一人である。
 また、賢治、宮澤安太郎、佐伯慎一(郁郎)、深沢省三、石川準十郎は皆「(東京)啄木会」の会員であった。
 そして、佐伯郁郎は宮澤安太郎を介して賢治から『春と修羅』を贈られた。なお同書は『人首文庫』に所蔵されている。

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