みちのくの山野草

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1548 エミシの”鬼”

2010-06-18 10:00:40 | Weblog
    <↑ 『古代アテルイの里』(延暦八年の会編集、水沢地方振興局発行)>

 では今回は『古代アテルイの里』という冊子を眺めてみたい。

 例えばその中には次のような項がある。
 毛人から蝦夷へ 
 古墳時代中期(5世紀)、畿内を統一したヤマト王権は次第にその版図を東と西に拡大してきた。5世紀後半、倭王武(雄略天皇)が中国南宋に国書(上表文)を送って、自ら版図を記述したくだりがある。そこには「東毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国」(『宋書』夷蛮伝・倭国の条)とあり、東の毛人を征したというのは、今の関東地方も含めてのことである。エミシの最初の表記は「毛人」であった。
 エミシ観が「蝦夷」に変わるのは、日本の新しい用法にもとづく。斉明天皇5年(659)、日本は中国の唐に夷人を献上した。有名な「陸奥(みちのく)の蝦夷男女二人をもって、唐の天子に示す」(『日本書紀)』斉明天皇五年七月条)である。ここには唐の天子の問いに対し、蝦夷には3種類あり、遠いのが「都加留(つかる)」、次が「麁蝦夷(あらえみし)」、近いのを「熟蝦夷(にぎえみし)」というと述べられている。
  …(略)…
 アテルイの社会
 エミシ社会の在地首長たちは、生前どのような出立ちをしていたのであろうか。幸い、古墳の副葬品を分析することで、生前の被葬者が営んでいた社会生活の一端を復元できる。…(略)…エミシ社会では首長による乗馬は一般的であったことがわかる。それも付属品から見るとハダカ馬でなく、装飾されていたようである。…(略)…
 7世紀のエミシ社会の特徴づけるもう一つのものが玉類である。勾玉・管玉・ガラス玉・切子玉などがあるが、その材質は翡翠・瑪瑙・碧玉・水晶・琥珀・ガラス製である。このうち翡翠の主産地は新潟県糸魚川流域に、琥珀は岩手県久慈地方に求められる。エミシの交易圏が予想以上に広がっていることがわかる…。

 ところが読み進めていってもこの冊子には”日高見国”という文字が出て来ることはなかなかなかったので読むのを止めようかなと思ったころにその文字が出て来たのが、次の「エミシ・タムラマロ伝説」という章である。
 エミシ・タムラマロ伝説
 延暦21年(802)に、現在の水沢市佐倉河八幡地内に胆沢城をつくった、征夷大将軍坂上田村麻呂にまつわる多くの伝説が胆江地区に伝えられている。
 伝説では田村麻呂は、「蝦夷」と呼ぶ鬼を征伐するなかで多くの社寺を勧請したり、またエミシとの戦いでさまざまな奇瑞を起こしたり、その地の地名の始まりとなったりしたことが伝えられている。
 鬼といわれているエミシとは何か。伝説の中で語られているエミシの名前を見てみる。
 おおだけまる―大猛丸 大武丸 大丈丸 大岳丸
 たかまる―高丸
 あがかしら―赤頭
 あくろおう―悪路王
 じょうりゅうき―常龍鬼
 まおうまろ―魔王麿
 はやとら―早虎
 くまい―熊井
 かねい―金猪
 ごろうまる―五郎丸
  …(略)…
 おに―鬼
 だいじゃ―大蛇
 りゅうふく―龍副
などと呼ばれて出てきている。
 高丸、五郎丸、大武丸などの呼び名はあまり抵抗を感じないが大猛丸、悪路王、常龍鬼、魔王麿等は大いに考えさせられる。鬼、大蛇に至っては問題外である。しかしこれらの呼び方が、エミシの強さをあらわす裏返しだとしたら、大変である。征夷大将軍坂上田村麻呂を相手に、エミシがいかに強かったかがわかろうというものだ。
 エミシの強さは田村麻呂によってひきだされたものではなく、田村麻呂以前にも見られた。エミシの伝説で古いものを見てみよう。
 景行天皇の時、皇子を官軍の将として日高見国の鬼神を追討させられたことがあった。このとき黒鷲という女鬼が鬼首山(今の室根山)を根拠として住民を苦しめており、猛勢にして官軍は追い返される事が度々であった。…(略)

 以上はあくまでも伝説ということなので事実か否かはわからないが、当時如何にエミシが強かったかということを伝説は物語っているような気が確かにする。
 花巻周辺にある多くの神社等の由緒には必ずといっていいほど坂上田村麻呂の名が出て来て、彼一人を奉祀しているところが多いと思う。されど正直言って”みちのく”に住まう私としては疎ましい点もある。同様、日高見国に元から住んでいた当時のエミシたちは征服者である田村麻呂を心から褒めそやしていたわけではないと思う。ひそかにエミシの”鬼”たちを心の内で神としてあがめていたにきっとちがいない…。
 
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