みちのくの山野草

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あの「演習」とは一体何のことなのか

2024-05-10 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)

 「羅須地人協会時代」終焉の真相
   
 ずっと以前から疑問に思ってきたことがある、あの「演習」とは一体何のことなのだろうかと。それは、宮澤賢治が愛弟子の一人澤里武治に宛てた昭和3年9月23日付書簡(243)、
お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました。六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず疲れたまゝで、七月畑へ出たり村を歩いたり、だんだん無理が重なってこんなことになったのです。
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。

             <『宮沢賢治と遠野』(遠野市立博物館)15p >
の中に出てくる、この「演習」がである。
 普通、「すっかりすがすがしくなりました」というのであれば、病気のために実家へ戻って病臥していたはずの賢治なのだから、「そろそろ下根子桜に戻ってそれまでのような営為を行いたい」と賢治は伝えるであろうと思いきや、にもかかわらず、「演習が終るころ」まではそこに戻らないと愛弟子に伝えているわけで、この「演習」は極めて重要な意味合いを持っていると言わざるを得ない。だから、そのような「演習」とは一体何のことなのだろうかと私は長らく気になっていた(いや、もっとはっきり言わせてもらえば、なぜ『校本全集』はこの「演習」とは一体何のことなのかということを、未だ特定出来ていないのですかと)。

 すると、この「演習」に関しては、『新校本年譜』の昭和3年の「九月二三日」の項に次のような記述があり、
 ……だんだん無理が重なってこんなことになったのです。/演習(*45)が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
         〈『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)〉
この「演習(*45)」の注釈〝*45〟について、
    盛岡の工兵隊がきて架橋演習などをしていた。
と同巻では述べているよ、と仰る方がおられるかも知れない。
 ところがこの「盛岡の工兵隊がきて架橋演習」に関しては、『花巻の歴史 下』によれば、
 架橋演習には第二師団管下の前沢演習場を使用することに臨時に定めらていた。
 ところが、その後まもなく黒沢尻――日詰間に演習場設置の話があったので、根子村・矢沢村・花巻両町が共同して敷地の寄付をすることになり、下根子桜に、明治四十一年(一九〇八)、東西百間、南北五十間の演習廠舎を建てた。
 毎年、七月下旬から八月上旬までは、騎兵、八月上旬から九月上旬までは、工兵が来舎して、それぞれ演習を行った。

         〈『花巻の歴史 下』(及川雅義著)67p~〉
となっている。つまり、下根子桜に建てられた「工兵廠舎(花巻演習場廠舎)」に盛岡の工兵隊等が来舎して架橋演習が行われた期間は「七月下旬~九月上旬」であったということになる。
 そこでこの『花巻の歴史 下』の記述に従えば、賢治が澤里に宛てた書簡(243)の日付は9月23日だからこの時点では既にこの「架橋演習」は終わっていたことになる。一方、同書簡の文章表現「演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」からすれば、9月23日時点では賢治はまだ根子(「下根子桜」)に戻っていないことは明らかだから、賢治が同書簡にしたためたところの「演習」はまだ終わっていないことになるのでこの架橋演習のことではないということになる。
 つまり、この書簡の中に出て来ている「演習」とはこの注釈に述べられているような「架橋演習」のことではなく、別の「演習」を指しているということを賢治自身が教えてくれているのだ。しかもその「演習」とは、このままでも教え子にも通ずるようなそれであるということなども、素人で非専門家の私(鈴木守)でさえもそれほど苦労せずに知ることが出来た。言い方を換えれば、『校本全集』の追究の姿勢は中途半端であり、一次情報に立ち返ることもしなければ疑うことすらしておらず、基本中の基本を蔑ろにしている<*1>のである。

<*1:投稿者註> 石井洋二郎氏の鳴らす警鐘
   あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
は研究者の心掛けるべき基本中の基本であろうに。

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  『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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