みちのくの山野草

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ここでもまた典拠を明らかにしていないのか

2023-11-10 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
荒木 一方で上田哲も言及しているように、賢治の周辺に〈悪女〉がいたという風説は戦前から一部の人たちに知られていたというではないか。
鈴木 たしかにそうなんだが、その〈悪女〉の名が高瀬露であるということまでは殆ど知られていなかったんだ。というのは、この〈悪女〉に関して著作を公にした森荘已池の『宮澤賢治と三人の女性』等も、儀府成一の『宮沢賢治 その愛と性』も、その女性の名前は明示しておらず、「彼女」「女の人」「Tさん」などという表現、あるいは仮名(かめい)の「内村康江」とかを用いているからだ。
吉田 ところが、上哲が同論文で、「この女性の本名が明らかにされたのは校本全集第十四巻……」と指摘していることからも示唆されるように、『校本全集第十四巻』上で突如、その〈悪女〉の名は「高瀬露」であると思わせるような、恣意的な公表がなされてしまったんだよな。具体的には、昭和52年に出版された同巻は「補遺」において、
 新発見の書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があるとみられるので、高瀬あてと推定し、新たに「252a」の番号を与える。〈『校本全集第十四巻』28p〉
と述べ、「新発見」の賢治書簡下書252c等を公表したんだ。
鈴木 しかも、
   本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが、〈同34p〉
と断定し、この「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた宛名不明の書簡下書と合わせて約23通を「昭和4年と推定される〔日付不明 高瀬露あて〕書簡下書」として一括りにして公表したのだ。
吉田 ところが、これら一連の書簡下書群の最もベースとなる書簡下書252cについて、同巻は「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」と断定してはいるものの、その典拠を何ら明記していない。
荒木 ひどいもんだ。人権に拘わることなのに、ここでもまた典拠を明らかにしていないのか。「杜撰」だらけだべ。
吉田 まさに。ここでもまた杜撰なのだ。その裏付けがあるということも、検証した結果だということも付言していない。従って、「内容的に高瀬あてであることが判然としているが」といくら述べられていても、「内容的に」というような漠とした表現では、読者にとっては「客観的に見て判然としていない」ことだけがせいぜい判然としているだけだ。
鈴木 にもかかわらず同巻はさらに推定を重ね、しかも一般人である「高瀬露」の実名を顕わに用いて、「推定は困難であるが」と前置きしておきながらも、「この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか」などというような投げやりで、はしなくも、いい加減だという印象を与えるような表現を用いて、「困難」なはずのものにも拘わらず、
⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)         
⑵、本書簡(252a)(法華信仰の貫徹を望むとともに、病気で会えないといい、「一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。」として、愛を断念するようほのめかす。ただし、「すっかり治って物もはき〳〵云へるやうになりましたらお目にかゝります。」とも書く)
⑶、高瀬より来信(南部という人の紹介で、高瀬に結婚の話がもちあがっていること、高瀬としてはその相手は必ずしも望ましくないことを述べ、暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)…筆者略…
⑸、賢治より発信(下書も現存せず。いろいろの理由をあげて、賢治自身が「やくざな者」で高瀬と結婚するには不適格であるとして、求愛を拒む)  
などと、スキャンダラスな表現も用いながら推定した。
さらに続けて、⑹、⑺という「推定」も書き連ね、結局延延と推定を繰り返した推定群⑴~⑺を同巻で公表した(『校本全集第十四巻』28p~)。
荒木 まったく! 何やってんだよ天下の筑摩が。
吉田 そうだよな、筑摩書房ともあろう出版社が、「次のようにでもなろうか」というレベルのものを文字にして公表するなどということは僕にはまったく考えられないことだ。一体、筑摩の矜恃はどこへ行ってしまったのだ……。

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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