みちのくの山野草

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森の「下根子桜訪問」はどうやら捏造のようだ

2023-02-02 08:00:00 | 「賢治年譜」一から出直しを
《オオタカネバラ》(2022年7月14日撮影、岩手)

 そんな時に偶々私が目にしたのが、平成26年2月16日付『岩手日報』の連載「文學の國いわて57」(道又力氏著)であり、そこには、
 東京外国語学校へ入学した森荘已池は、トルストイも愛用した民族衣装ルバシカにおかっぱ頭という最先端のスタイルで、東京の街を闊歩していた。…(筆者略)…ところが気ままなボヘミアン暮らしがたったのか、心臓脚気と結核性肋膜炎を患ってしまう。仕方なく学校を中退して、盛岡で長い療養生活に入る。
ということが述べられていた。
 これによって、当時森は病を得て帰郷、その後盛岡病院に入院等をしていたということを私は初めて知って、そういうことだったのかと頷き、これこそが先の〝彼にはその訪問の年を「一九二七年」とはどうしても書けない何らかの「理由」〟だったのだと覚った。心臓脚気と結核性肋膜炎で長期療養中だった当時の森が「一九二七年」の秋に「下根子桜」を訪問することは土台無理だったから、「一九二七年」とは書けなかったのだ、と。
 念のため、『森荘已池年譜』(浦田敬三編、熊谷印刷出版部)も参照してみると、
・大正15年11月25日頃、心臓脚気と結核性肋膜炎を患って帰郷し、長い療養生活。
・昭和2年3月 盛岡病院に入院。
・昭和3年6月 病気快癒、岩手日報入社。
と要約できる。やはり、昭和2年(一九二七年)当時の森は確かに重病で盛岡で長期療養中だった。したがって、そのような重病の森が、盛岡から花巻駅までわざわざやって来てなおかつ歩いて「下根子桜」へ訪ねて行き、しかもそこに泊まれたということは常識的にはあり得ない。畢竟、森の「一九二七年」の「下根子桜訪問」は実際上も困難だったのだ。
 次に当時の『岩手日報』を調べてみたところ、昭和2年6月5日付同紙には「四重苦の放浪歌人」とも言われた下山清の「『牧草』讀後感」が載っていて、その中に、
 森さんが病氣のため歸省したこと脚氣衝心を起こしてあやふく死に瀕し、盛岡病院に入院したことは私もよく知つてゐる。
という記述があった。確かに『広辞苑』によれば、「脚氣衝心」とは「呼吸促迫を来し、多くは苦悶して死に至る」重病だというではないか。また他にも、石川鶺鴒等の同様な記述が幾つか『岩手日報』紙上に見つかった<*1>。

 これで、今まで謎だった「頑なに「一九二七年」としなかった」その「理由」が私には完全に納得できた。「一九二七年」当時の森は重篤であることがこうして新聞で広く伝えられていたので、森が「一九二七年」の秋に「下根子桜」を訪問したと書いたならば、世間からそれは嘘だろうと直ぐ見破られるであろうことを森はわきまえていたからだ、と。そして同時に、森は「一九二七年」と嘯くことだって出来ただろうにと私はふと思ったこともあったのだが、嘯けなかった理由もこれだったのだと私は合点した。とうとうこれで「詰み」だろう。
 最後に、「仮説検証型研究」に翻訳して万全を期す。まずはここまでの考察によって、
〈仮説8〉森荘已池が一九二七年の秋に「下根子桜」を訪問したということも、その時に露とすれ違ったということも事実とは言えず、いずれも虚構だ。
が定立できる。そして、これを裏付ける証言や資料は幾つもあったが、その反例は現時点では何一つ見つかっていないのでこの仮説の検証ができたことになる。よって、この〈仮説8〉は今後その反例が突きつけられない限りという限定付きの「真実」だ。

 さて、ここまでの「仮説検証型研究」を用いた検証作業等によって、とうとう恐れていたことが現実のものとなり、大前提だった件の「下根子桜訪問」が崩れてしまった。その結果、唯一の「直接の見聞」と思われた「露とのすれ違い」も単なる虚構だったということになってしまった。まさにあやかしの極み、しかもそこには悪意があるからこれらは捏造と言える。となれば、先に考察した「ライスカレー事件」等も同様で、虚構や風聞程度のものだったと判断せざるを得ない。
 したがって、『宮澤賢治と三人の女性』における露に関する記述には捏造の「下根子桜訪問」を始めとして、悪意のある虚構や風聞程度のものも少なからずあることが判ったから、そこで語られている露は捏造された〈悪女・高瀬露〉であり、同書は露に関しては伝記などではなくて、悪意に満ちたゴシップ記事に過ぎなかったと結論するしかない。おのずから、そのような『宮澤賢治と三人の女性』を元にして露は〈悪女〉であったなどとはもう言えないという事は明らか。またそれは、先に〝〈悪女〉の濡れ衣〟で述べたように、
 高瀬露は、しばしば下根子桜の宮澤家別宅を訪れて賢治をいろいろと助け、しかも賢治とは少なくともある一定期間オープンで親密なよい関係にあり、賢治歿後は師と仰ぎながら偲ぶ歌を折に触れて詠んでいることが公になっていて、しかも長きにわたって信仰の生涯を歩み通したクリスチャンであった。
のだから、当然の帰結であろう。

 どうやら、森の「下根子桜訪問」は捏造のようだ。よって、本当の高瀬露は巷間言われているような〈悪女〉ではなかったようだ、ということも読者の皆様方には幾ばくかはご了解いただけたものと私は確信している。だが、いやいやあれ、「聖女のさましてちかづけるもの」があるじゃないかとご指摘を受けそうなので、次回はそのことについて投稿してみたい。

<*1:投稿者注> それらは、以前〝昭和2年の新聞報道によるMの消息(前編)〟で投稿した以下のようなものである。
 なお、当初の投稿においては、まだ検証等が不十分だったこととプライバシー保護のため、仮名で〝M〟としてきたが、その後の検証等によってそれも解消出来たので、事実をを知ってもらうことの方が重要だと判断し、
    M=森荘已池
であることをお知らせした(2022年5月17日)。
昭和2年当時の新聞報道
◇昭和2年4月7日付『岩手日報』
 ・文藝消息
  ▲M氏、病氣稍々軽快近く啄木の結婚當時をテーマとして短篇小説に筆を染める由
 ・「盛岡から木兎舎まで」 石川鶺鴒
 岩手富士を拝して、遠く霞んでゐる暮色の中に、その時私の頭にやはり郷土の誇りを思ひ浮かべられた。啄木の事も、原敬の事も、それから子供らしく姫神山の事も。
 その時の四人は黙つて橋上の暮色に包まれて居たと思ふ。
 その時の一人M君は今、宿痾の為、その京都の様な盛岡に臥つてゐる。昨春上京以来詩作は日本詩にもちよいちよい発表して居たが、殊にも今年は『文藝時代』にもなんとかある筈だつたとの事であるが病氣には勝てなくて、意企半ばに帰郷されたのはなんと言つても、われわれの損失であつた。…(略)…病氣の全快の一日も早からんことを切に祈つてゐる。

◇昭和2年5月19日付『岩手日報』
 ・「弘道君と初對面の事ども」 織田秀雄
 二人の間には、あらゆる話が持ち上がる。
 仙臺の事、メーデーの事、同人雑誌が長つゞきしない事、中央の歌人達の事、白秋さんの座談のうまいこと、酒をのむこと、牧水がどうの、或いは急に岩手にもどつて病で歸郷してるM君の事、幹次さんの事…(略)…

◇昭和2年6月5日付『岩手日報』
 ・「『牧草』讀後感」 下山清
 Mさんが病氣のため歸郷したこと脚氣衝心を起こしてあやうく死に瀕し、盛岡病院に入院したことは私もよく知つてゐる

◇昭和2年6月16日付『岩手日報』
・「郷愁雑筆」 上田智紗都
 五月の末ぽつかりと花巻に歸つてきたら、やはりはなれがたいふるさとだつた。…(略)… 
 いつも考へてゐながらMには一度も音信せない、やむ君に對してとても心苦しい。…(略)…
 いつだつたか在京石川令児兄が自分が元氣ななくなつたとかかいてゐたが、全くこのごろは何處へも無音にすぎてしまつて禮を欠いてゐる人が何人あるか知れない、在京の生出仁、小野寺路茂どうしてゐるやら、生出君も割に筆不精になつたらしい、歸郷の前雑司ヶ谷に白鳥省吾氏を訪づれた時も、君の話が出て、やはり消息がないと云つてゐた。…(略)…(花巻川口町鍛冶町三田方にて)
等の報道からは、当時Mは病気のために帰省し、それも重病で病臥していたことがかなり広く知られていたということがわかるから、先の推測「Mは詩人として等の交遊関係が広かったから、「一九二七年」頃のMは長期療養中だったことがある程度世に知られていた」はかなり的を射ていたと言えよう。

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