みちのくの山野草

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歿後改稿されて出版された『賢治随聞』

2017-12-27 09:00:00 | 賢治の目を見れますか
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影)
 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。

 それにしてもなぜ、関登久也(昭和32年歿)が亡くなってから13年も経った昭和45年に、わざわざ著者名を〝関登久也著〟ということにして『賢治随聞』が発行されたのだろうか

 そこで、まずは同書の「はじめ」がどうなっているかを見てみようと思って頁を捲ってみたが「はじめ」はないしその類もない。珍しいこともあるものだ、単行本の場合には必ず「はじめ」やそれに相当するものがあるものとばかり思っていたが、ないこともあるのだ。私は訝しく思いながら、それじゃ次は「あとがき」だ。そう思って捲ってみたならばこちらの方はあった。そしてあるにはあったのだが、その部分の著者名は関登久也ではなくて森荘已池だった。これも変なことだと思いつつその「あとがき」を読み進めた。その中には以下のようなことが書かれていた。
  あとがき
森荘已池
 宗教者としては、法華経を通じて賢治の同信・同行、親戚としても深い縁のあった関登久也が、生前に、賢治について、三冊の主な著作をのこした。『宮沢治素描』と『続宮沢賢治素描』、そして『宮沢賢治物語』である。…(投稿者略)…
 さて、直接この本についてのことを書こう。
 『宮沢賢治素描』正・続の二冊は、聞きがきと口述筆記が主なものとなっていた。そのため重複するものがあったので、これを整理、配列を変えた。明らかな二、三の重要なあやまりは、これを正した。こんにち時点では、調べて正すことのできがたいもの、いまは不明に埋もれたものは、これは削った。…(同略)…また、賢治を神格化した表現は、二、三のこしておおかたこれを削った。その二、三は、「詩の神様」とか「同僚が賢治を神様と呼んだ」とかいう形容詞で、これを削っても具体的な記述をそこなわないものである。
 なお以上のような諸点の改稿は、すべて私の独断によって行ったものではなく、賢治令弟の清六氏との数回の懇談を得て、両人の考えが一致したことを付記する。願わくは、多くの賢治研究者諸氏は、前二著によって引例することを避けて本書によっていただきたい。
  …(同略)…この本はかたい研究書とちがうが、賢治研究の根本資料としての真価に、さらにうるわしい花をそえているということができよう。
 昭和四十四年九月二十一日
というものであった。

 私は一読して、後味の悪さを覚えた。なぜだろうか。そして思ったことは、その第一は、
 『宮沢賢治素描』正・続の二冊は、聞きがきと口述筆記が主なものとなっていた。そのため重複するものがあったので、これを整理、配列を変えた。明らかな二、三の重要なあやまりは、これを正した。こんにち時点では、調べて正すことのできがたいもの、いまは不明に埋もれたものは、これは削った。…(同略)…また、賢治を神格化した表現は、二、三のこしておおかたこれを削った。その二、三は、「詩の神様」とか「同僚が賢治を神様と呼んだ」とかいう形容詞で、これを削っても具体的な記述をそこなわないものである。
の部分で言えば、これが『賢治随聞』の出版理由となり得るのかということである。はたして、他人の著書をこのような理由だけで書き変えて新たに出版することが許されるのだろうかということである。しかも実際に私が調べてみた限りでは、〝『賢治随聞』の「あとがき」(#3)〟で投稿したように、この改稿の必要性があったとは私にはとても思えない。そしてそもそも、森荘已池等は誰の許可を得てこのようなことをしたのだろうか。この時点ではもう既に関登久也本人のみならず夫人のナヲ共に鬼籍に入っているからご遺族のどなたかには了解を得たのではあろうが、この点について全く触れていない。社会的規範に反していないのだろうか。
 その第二は、
 なお以上のような諸点の改稿は、すべて私の独断によって行ったものではなく、賢治令弟の清六氏との数回の懇談を得て、両人の考えが一致したことを付記する。願わくは、多くの賢治研究者諸氏は、前二著によって引例することを避けて本書によっていただきたい。
の部分についてである。他人の著作を独断ではないといっても、宮澤清六と懇談した上で二人の考えが一致したから改稿するということがはたして許されるのだろうか。まして、当の本人である関登久也の著書を引例することを避けて自分等がそれらを改稿した方の著作を引例せよということはあまりにも不遜な謂(いい)だ
 そして第三は、注意深くこの「あとがき」を読んで気付くのだが、最初の方では
 関登久也が、生前に、賢治について、三冊の主な著作をのこした。『宮沢治素描』と『続宮沢賢治素描』、そして『宮沢賢治物語』である。
と言っておきながら、この『宮澤賢治物語』についてのその後の言及がないことにである。これらの三冊は共通する部分があるのに、なぜこの『宮澤賢治物語』と『賢治随聞』の関連を一言も述べなかったのだろうか。まるで、『宮澤賢治物語』は無視されたかの如き印象を受けてしまう。そしてまた、その「無視」の意味するところは、単行本の『宮澤賢治物語』には誰かにとって不都合なことが書いてあるかということを否定できない、ということである。

 この歿後改稿されて出版された『賢治随聞』に関しての上掲3点は私にとっては極めて不可解なことであり、これらのことが後味の悪さを覚えた理由だったようだ。そこで次回もう少しこれらのことを深く探ってみたい。

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