簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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ほろ苦い青春・九州(JR全線乗潰しの旅)

2010-02-02 | Weblog
九州には、高校1年生を終えた春休み、「故郷の佐賀に帰るけど一緒に来ないか」と友に
誘われ、佐賀県の某町で春休みの期間中を彼の同級生等と過ごしたのが最初であった。

 【写真:長崎駅にて】

残念ながらそのときの鉄道のルートは良く覚えていないし、記録も残っていない。
名古屋から夜行列車に乗り、博多まで行った記憶は有るが、その後のルートは鳥栖を経由し、
長崎本線を利用したのか、筑肥線・唐津線を乗り継いだのか定かではない。
記憶の中には、唐津、山本、鳥栖、佐賀と言った駅名が甦ってくるが、これは恐らくその後
訪れた時のこととオーバーラップしてのことだと思う。

 【写真:唐津線山本駅にて】

余談だが、昨年の春、久し振りに唐津線に乗った。
途中のT駅は、その当時のセピア色の記憶しか残っていなかっので、何年ぶりかで車窓から見る、
明るい色をした町並みの変わり様には戸惑った。
一生懸命記憶を引き出し、当時、確か線路際に有った友の実家の位置を確かめようと試みたが、
赤茶けた町並みの記憶とは余りにもかけ離れていて、全く見当が付けられなかった。
機会が有ったら、今度はT駅で下車し、町を歩いて見たい、とこの時強く思った。

二度目は、社会人に成って昭和43年の冬、会社の正月休みを利用した友達四人で行った、
10泊11日の一周旅行である。
当時、新幹線はまだ新大阪までしか開通しておらず、ここから先、別府までの14時間は関西汽船・
瀬戸内海航路の汽船で、瀬戸内海の船旅を楽しんだ。

 【写真:天領日田の町並み】

別府からは宮崎-串間-志布志-鹿屋と鉄道を乗り継いだ。
志布志-鹿屋は1987年3月に廃線に成り今は無い。
佐多港からフェリーで山川に渡り、鹿児島から霧島-熊本-阿蘇へ。
ここからはバスで本渡、鬼池からフェリーで口之津に渡り、再びバスで島原-雲仙-長崎へ。

 【写真:佐世保駅にて】

長崎からの帰途は、10時14分発の「急行・いなさ2号」で博多に向っている。
当時の時刻表を見てみると、博多到着は13時22分。
博多からは、夜行急行「つくし51号」が16時02分に出て、終着大阪に4時30分に到着。
新大阪からは新幹線で名古屋に向い、6時53分に到着、そのまま新年の初仕事が
始まった会社に出社、一日普通通りに仕事をしているのだから結構ハードな旅をしたものだ。

こんな旅の軌跡を塗り潰してみた。(続)

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