簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

上鳥羽あたり(四国遍路の旅・高野山編)

2015-09-25 | Weblog
 十条通りを越えたあたりで、一本東の筋に公園を見つけ、休憩がてら立ち
寄ってみる。



 一面に芝生の敷かれた、町中にしては随分と広々とした開放的な公園で、
周りは大きな木立が木蔭を作っている。
何かの旧跡かとも思ったが、良く解らない。
その脇にツツジが満開になった遊歩道が整備されていて、単調な千本通り
歩きに、ひと時の変化を求め少し歩いてみる。



 ものの本によると旧鳥羽街道は、平安京の造営に伴い、羅城門から真っ
直ぐ南に造られた道で、古くは「鳥羽作り道」と呼ばれていたそうだ。
大坂・難波からの外国人使節の入洛路であり、物資の輸送路であり、天皇
の鳥羽離宮への行幸路で有ったと考えられている。



 然し現在では、旧街道とは言え余り変哲のない、ごく普通の生活道路で、
思い出したようにポツポツと車などの通行は有るものの、町中なのに人の
姿を見ることは少ない。
住宅の多い家並みは低く、落ち着いた雰囲気が感じられる通りである。

 ところどころには、一階に千本格子・犬矢来を構え、二階に格子窓の有る
旧家が佇み、旧街道の雰囲気を少しだけ醸し出している。



 そんな旧家は、石の階段を数段上がったところに築かれていたりする。
これはこの地がすぐ西を流れる西高瀬川と、東を流れる鴨川に挟まれた低
湿地で、洪水を避けての措置だと窺い知れる。



 再び旧街道に戻り、その先で上鳥羽に入って来た。
そんな町中の、交番の横に「アレフ(元オウム真理教)「対策協議会本部」と
書かれた看板が建てられていた。
今でもオウムはこの地で活動を続けているのであろうか。(続)






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