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2013-12-14 | bookshelf
『浮世絵のおんな 女と男の寝物語』 訳者:佐野文哉
二見書房 2013年刊
・願ひの糸口…喜多川歌麿画錦絵
・萬福和合神…葛飾北斎作画 1821年文政4年(61才)
・葉男婦舞喜…喜多川歌麿(49才)画、十返舎一九(37才)作 1802年享和2年
・江戸生艶気樺焼…山東京伝
収録

 艶本と書いて「えほん」と読むようです。
 一九先輩に関連する新たな書籍を探していたら、2013年4月に発売されていた『浮世絵のおんな』という本に、一九先輩の「艶本」が収録されているのを見つけました。艶本とは春画、枕絵などとも言われる、エロ本です。滑稽本で、さんざん下品な下ネタを散りばめている一九のエロ本なんて、新鮮さも感じませんが、ちゃんとした艶本というジャンルでの一九先輩の作品は読んだことなかったので、読んでみました。
 喜多川歌麿が亡くなる4年前頃に描いた数枚の色摺りの見開きページ春画は、様々な状況による男女の姿態と彼らの短い会話が書き込まれ、そのあとに一九の滑稽調エロ短編が続きます。春画の会話の書き込みは、歌麿自身によるもので、一枚一枚の内容には繋がりがなく、一九の短編とも関連性はありません。この体制が上・中・下と3冊。艶本『葉男婦舞喜(はなふぶき)』は、一九が『東海道中膝栗毛』を書き始めた同年に書かれた本で、序文も一九が書いています。膝栗毛がブレイクする前にもかかわらず、美人画の巨匠歌麿の本の序文を任された経緯は、どんなものだったのでしょうか。「道楽人」の号で書いた序文によれば、「本に毛のある筆を勃(お)やしてさっさっと描いた次第である。」そうです。享和2年の一九は、頼まれた仕事を断れるような状況ではなかったのか、膨大な量の仕事をしていますから、これもそのひとつだったのでしょう。
 本書『浮世絵のおんな』は、序文やお話、書入れ文まで現代語に翻訳されているので、普通のエロ本として楽しむことができます。同じ江戸時代の春画でも、浮世絵創世記のもの(菱川師宣画など)と北斎、歌麿のものとでは、ずいぶん様相が違います。本書に収録された北斎と歌麿の春画は、読者に局部を見せるために、無理な構図や不自然なポーズ、果ては妨げになる脚を極端に短く描いたり…と、北斎・歌麿本来の美しい浮世絵とは明らかに違う目的で描かれた絵だとわかります。エロ画ですから、女性の表情が艶めかしく描かれてあるのは当たり前ですが、全体的に絵として見ると、何故だか滑稽な図に見えてなりません。写真なら絶対ボカシを入れなければ発禁になるであろう大胆な構図で、グロテスクで妙にリアルに描かれた局部を見慣れてしまうと、艶気より可笑しみが湧いてくるのです。
 そんなニュアンスを一九も感じ取ったのでしょうか、挿入された短編は、飽くなき男女の欲情をコミカルに笑いとばしています。第1話は、後家と寺の小姓と和尚と弟子坊、それを覗き見していた下女と丁稚、それを見た台所番人が門前の婆と、庭の犬が女猫を、イタチが鶏に、雀の尻をカラスがつつけばトンビがとろろ汁をこぼしたごとく…という欲情の連鎖を書き、最後に冷静になった和尚の「これは、王門(ぼぼ=セックスの意味)の会に寺を貸した按配じゃな、まずは座敷料を…しめしめ」と胸算用する、というオチで終わります。なんや、あっけらかんとした後味。全然いやらしさがないところが、一九のエロ本のいいところ?第2話は、女性が共感できるような、いい話だったりします。