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folklore accepted as Japanese history 5

2018-09-17 | ancient history

参考にした書籍↑『海人(かいじん)の伝統』
編集:大林太良 森浩一 岸俊男
日本の古代シリーズ全15巻 初版昭和62年

 古代の天皇(大王:オオキミ)が太陽神であるアマテラスを皇祖神だと強く印象付けたのは、大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱を起こす際、大海人皇子勢が奈良県の吉野から三重県鈴鹿市に至り、近江から脱出した大津皇子と合流する朝に、朝明郡(あさけのこおり:現四日市市・菰野町・朝日町・川越町一帯)の迹太川(とおかわ:四日市市の米洗(よない)川。ゆかりの地には天武天皇迹太川御遥拝所跡がある)のほとりで大海人皇子が天照大神を遥拝した、という『日本書紀』の記述です。その後大海人皇子勢(実際に戦の指揮したのは高市皇子)が勝利して、天武「天皇」が誕生したことで、短い一文にもかかわらず、日本の歴史に重要な影響を与えました。日本の国のトップである「天皇」は日の神の御子…という神話です。そういえば、神武東征の時も、畿内に進行する際、長髄彦(ながすねひこ)に阻まれたため「自分は日神の子孫であるのに、日に向って敵を討つのは天道に逆らっている。背中に太陽を負い、日神の威光をかりて敵に襲いかかるのがよいだろう。」と言って熊野から上陸していました。これらの記述は編纂者の意図的な作為を感じます。
 記紀でこれほど天皇(大王)=日神・アマテラスの子孫、つまり天上から降臨した神の子と位置付けているにもかかわらず、天皇家(王家)の背後には常に「海」が存在しています。東南アジア諸国の海人族から伝わった「天の岩戸神話」が「冬至の儀式」を伝承するものなら、その祭りを伝承していた稗田氏(猿女君)は、九州の海人族・安曇(阿曇)連氏と同族だといいます。そもそもアマテラスの誕生も、黄泉国から生還したイザナギが、筑紫の日向の橘の小さな湊で禊(みそぎ)をした時に現われた海の神々の後に現れた事になっています。この時現れた三柱の綿津見神(わたつみのかみ)の子孫が阿曇連一族だと『古事記』に記されています。
 アマテラス・ツクヨミ(月読)・スサノオの三姉弟は、天上ではなく海中で生まれました。それからアマテラスは高天原を、ツクヨミは夜の国を、スサノオは海原を支配するようイザナギに言われました。いわば、スサノオだけが生まれた場所に残されたのです。しかし、スサノオは海の世界を嫌って母イザナミのいる根の国に行くと言ってきかなかったため海から追放され、根の国に行く前に姉アマテラスに報告しに高天原へ行き…姉弟の争いとなり「天の岩戸神話」へと繋がります。
 このあたりの物語は面白いので、ついつい見落としてしまいましたが、既に綿津見神が支配している海を、後から生まれたスサノオが支配するというのは明らかに矛盾です。別の書籍で、元来は日神と月神の二柱だった神話に、編纂者がスサノオを後から加えた(スサノオは別の神話の登場人物)という説を読みました。そう考えると納得できます。
 記紀を編纂した時代には、既に綿津見神の信仰が九州から中央まで(阿曇連の同族がいる信州・安曇野あたりまで)浸透していたため、皇族は「皇祖神の弟が海を支配することになっていた」と苦しい言い訳を考えたのではないでしょうか。
 このような、多分当時信じられていた伝承を、為政者にとって都合のよい物語に作り替えるプロパガンダ的要素を盛り込んだ神話の一番の傑作が、「海幸・山幸神話」だったと『海人の伝統』を読んでやっと理解できました。
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