岐阜県海津市にある歴史民俗資料館
高須藩松平家の御殿を模した外観
高須藩松平家の御殿を模した外観
お千代保稲荷へ初詣に行ったついでに、海津市歴史民俗資料館へ行きました。
海津市高須町は、幕末の会津藩主・松平容保を輩出した高須藩松平家の領地です。歴史民俗資料館は、海津市が位置する「輪中」の紹介がメインですが、3階はその高須藩松平家のコーナーになっていて、実際に使用できる能舞台や、お殿様の書斎なども再現されていました。
高須藩は、江戸中期以降に尾張藩の支藩になり、尾張徳川家に嫡男が出来なかった際は、高須藩松平家から養子を出すという決まりになっていた程の名門だったそうです。
10代藩主松平義建は11男8女という子沢山で、成人した男子は有能で、有力大名家の養子になったり自分の藩を継いだりしているそうです。
父義建と高須四兄弟の写真(明治時代)
左から、桑名藩主松平定敬、会津藩主松平容保、高須藩主一橋茂榮、14代尾張藩主徳川慶勝。幕末維新後撮影された四兄弟の写真は、容保のように江戸藩邸で生まれ育ち一度も故郷を訪れたことがなかったであろう高須藩のあった地で改めて見ると、数奇な運命に翻弄された四兄弟がこうして揃って写真に納まっていることに、不思議な感慨を覚えました。
会津藩主松平容保
廃藩置県後、高須藩は一時的に名古屋県の飛び地になっていたそうです。
資料館がお城のように石垣の上に建てられているようにしてあるには、石垣から下は海抜0メートルで、石垣にあたる1階部分は堤防がなければ水没してる高さだからです。海津市は木曽三川の河口に位置していて、自然に出来た丸い中州を堤防で囲って田んぼ(堀田)を作ったものが輪中で、輪中を統合してできた巨大輪中の中にあるのです。堤防など治水工事に借り出されたのは、やはり薩摩藩の人々。そりゃ徳川幕府怨まれますよ。