水・土・日曜日、祝日に更新し、毎回4枚の写真と撮影秘話を中心に、楽しかった思い出をお伝えしています。
7月27日から毎週水曜日に掲載しています瀬戸市「山口の史跡」の現地撮影を、8月8日に行いました。
山口憩いの家に設置してある「山口 史跡マップ」を頼りに行きますが、なかなか目的物の場所までたどり着けません。
写真を撮ってブログに掲載するのが目的ですが、近くの人や関係者に聞きながら散策するのも面白いです。
※いつもは4 枚の写真構成ですが、紹介したい写真が多いので、このシリーズは11 枚構成となっています。

大雑把に示された『山口 史跡マップ』を頼りに、近くの人や関係者に聞きながら行くのも面白いです。

(08)真宗 高田派 教春山 本泉寺です。

境内には、山口観音堂(話では薬師堂と併設)があり、前日(7日)が夏観音で功徳日と記されていました。

境内には山田重忠公(平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将)の碑もあります。

(09)弾蔵の常夜灯です。近くの人は「以前は持ち回りで灯を入れていましたが、今は行っていません」とのこと。

(13)山口八幡社です。10月の「山口警固祭り」では、神社に馬を奉納し、火縄銃・槍・鎌隊が護衛に付きます。

境内にあると思われる「八幡社古墳」の石組みを探しましたが、場所はわかりませんでした。

神社に隣接する山口郷土資料館です。7月にここで「身近な世界遺産の富士山」写真展を開催しました。

境内には、2005年「愛・地球博(愛知万博)」に出展されていた「東屋」を譲り受けて移設されています。

境内には、「愛・地球博」の会場に植えられていた樹木(京都の北山杉・里桜)を譲り受けて移植されています。

正面の杜は山口八幡社で、神社に通じる道には大鳥居・常夜灯・参道松並木がありましたが、今はありません。
※午前0時・・分・・秒、「ピィピィプー」の時報を待つかのような更新は、名付けて「忍者ブログ」と呼んでいます。
7月27日から毎週水曜日に掲載しています瀬戸市「山口の史跡」の現地撮影を、8月8日に行いました。
山口憩いの家に設置してある「山口 史跡マップ」を頼りに行きますが、なかなか目的物の場所までたどり着けません。
写真を撮ってブログに掲載するのが目的ですが、近くの人や関係者に聞きながら散策するのも面白いです。
※いつもは4 枚の写真構成ですが、紹介したい写真が多いので、このシリーズは11 枚構成となっています。

大雑把に示された『山口 史跡マップ』を頼りに、近くの人や関係者に聞きながら行くのも面白いです。

(08)真宗 高田派 教春山 本泉寺です。

境内には、山口観音堂(話では薬師堂と併設)があり、前日(7日)が夏観音で功徳日と記されていました。

境内には山田重忠公(平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将)の碑もあります。

(09)弾蔵の常夜灯です。近くの人は「以前は持ち回りで灯を入れていましたが、今は行っていません」とのこと。

(13)山口八幡社です。10月の「山口警固祭り」では、神社に馬を奉納し、火縄銃・槍・鎌隊が護衛に付きます。

境内にあると思われる「八幡社古墳」の石組みを探しましたが、場所はわかりませんでした。

神社に隣接する山口郷土資料館です。7月にここで「身近な世界遺産の富士山」写真展を開催しました。

境内には、2005年「愛・地球博(愛知万博)」に出展されていた「東屋」を譲り受けて移設されています。

境内には、「愛・地球博」の会場に植えられていた樹木(京都の北山杉・里桜)を譲り受けて移植されています。

正面の杜は山口八幡社で、神社に通じる道には大鳥居・常夜灯・参道松並木がありましたが、今はありません。
※午前0時・・分・・秒、「ピィピィプー」の時報を待つかのような更新は、名付けて「忍者ブログ」と呼んでいます。
きょうも暑くなりそうですね。今朝は5時に起きて涼しい
うちに盆の墓参りにいくつもりでしたが、寝不足のため
予定を変更して、暑くても昼間に行くことにしました。
さて、山口八幡社の地形をよくみると、かつての八幡山
の懐にいだかれて鎮座ましましています。つまり、山全体が境内とみることができるんではないかと思います。
その山が開発されて団地がつくられ、たくさんの人が
住んでいます。
従って、その境内に住む人たちは、山口八幡社のお加護に預かって平穏な暮らしができているんではないかと思う次第です。
感謝ですね。
とっさー
山口八幡社内にあると思われる「八幡社古墳」の石組みを探しましたが、場所はわかりませんでした。
草に覆われているのか、山が開発されて団地になっているのかは分かりませんが、山口八幡社のご加護があるといいですね
山口神社のお祭りは馬や火縄銃まで登場するなどから、地元ではかなり有力な神社である事がうかがい知れます。
地名の山口も山口神社の呼び名も、山の入り口辺りにある土地だから"山口"ですね(笑)
海上の森は海がない内陸の土地なのに、太古には海があったんでしょうか?
瀬戸市を愛知県の地図を見ると濃尾平野の東北の端で、山口は瀬戸市の中でも南東の端です。
山口を三河山間部の入口と考えれば「山の入口」になるでしょうか。
海上の地名も不思議ですね