皆なんだかんだでこの授業が好き?

2010年12月30日 | 心の教育

 今回のレポートの感想でとてもおもしろかったのがあります。

 それは、私にとっても非常に不思議だった「なぜ皆この授業に出るのかということである。他の授業であれば、出席を取らない授業に授業を聞かないやつは出ないものである。しかし何故か現代社会と宗教では聞かない生徒も多く出席している」という疑問に学生自身が1つの解釈をしてくれたことです。


 H大学社会学部1年男子

 唯識によって人は世界をどのようにしたら良く見ることができるか知った。そして何が問題で世界を良く見ることができないのかも知った。では何故現代社会はいっこうに個人主義が続いているのだろうか。
 ここからは授業の感想も交えつつ考えていきたいと思う。授業を受けた多くの学生が洗脳されるとか言っているが、自分はそんな事ないと考える。人間として大きくなるためにはいろいろな考え方が出来る事が大切だと考える。なので仏教の考え方を学ぶのも大切な事だと考える。
 そして自分的にいつも不思議なのが、なぜ皆この授業に出るのかということである。他の授業であれば、出席を取らない授業に授業を聞かないやつは出ないものである。しかし何故か現代社会と宗教では聞かない生徒も多く出席している。なので皆なんだかんだでこの授業が好きなのではないだろうかと考えている。
 本の中で次ハヤルのは真面目な人と書いてあったが、それは自分も本当にそう思う。なので自分も礼儀正しい真面目な人間になりたいと思う。


 私の授業は「洗脳される」というウワサも流れているようです。確かに、ちゃんと聞いて理解すれば多くの場合コスモロジーが大転換するのですから、ある意味で「洗脳」かもしれません。

 (厳密には「洗脳」とは、特定の絶対化された信条を強制的に信じ込ませることです。私の授業は、絶対化された信条ではなく合理妥当性のある仮説を示し、しかも決して強制せず自由に判断をしてもらうのですから、本当はまったく「洗脳」には当たらず、まさに「教育」なのですが)。

 それにしても、出席は取らず自己申告制にしていますから、イヤなら出なければいいのに、けっこう学生たちは出てくるのです。

 長年なぜだろうと思っていたのですが、今年、少し謎が解けた気がします。

 「皆なんだかんだでこの授業が好きなのではないだろうか」とのこと、もしそうだとしたらうれしいことです。もちろん、ちゃんと聞いてくれれば、もっとうれしいのですが……

 ちゃんとは聞かない学生も、私のようにストレート・ダイレクトに「親父の説教」をする先生は少ないので、ちょっと気になったり、親父的・教師的愛情をいくらか感じてくれるのでしょうか。

 いずれにせよ、来年も遠慮なく「ためを思った親父の説教」を持続するつもりです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする