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仕事始め

2008年01月08日 | Weblog

 年末・年始は、家族で揃って楽しく過ごしました。

 年末に『サングラハ』誌の校正以外ほとんどの仕事の切りをつけておいたので、孫娘たちとしっかり遊ぶことができました。

 4日からはかみさんの実家に行き、母や兄弟たちとにぎやかに過ごしました。

 政治、経済、そしてなによりも環境の点できびしい年になりそうですが、そういう雰囲気はまったくないのどかな正月でした。

 『サングラハ』誌の発行・発送も今度の日曜日に可能というところまでこぎつけ、昨日から本格的に仕事を始め、今日から大学の授業も再開です。

 今日は、『十七条憲法』の講義の続き。平和と調和の国・持続可能な国づくりに向けて、たくさんの優れた人材が育ってほしいものだ、と強く願っています。

 今週から、藤沢の講座も、参宮橋・不二禅堂の講座も始まります。

 よっし、働こう! と思っているところです。



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年頭に当り「MUST化せず精進したい・できるといいな」と思う

2008年01月01日 | Weblog

 去年の年始に、六百巻という長い長い経典である『大般若経』を読む気になったと書きました。

 去年一年も多忙な年で、当然の職務としての大学での授業とその準備、研究所の講座での講義とその準備、お引き受けした講演、それらに関わって読んでおかなければならない文献、『サングラハ』誌や雑誌連載などどうしても書かなければならない原稿……を優先せざるを得ず、また読書体力も落ちてきているので、残念ながら思ったほどは読むことができませんでした。

 内容的な意味があって国訳一切経版の第6巻から読み始め、ようやく読み終わって第1巻に取り掛かっているという現状です。

 しかし、読めば読むほどすごいお経だと感じています。

 「縮み志向の日本人」に比べると、古代のインド人はまるで「誇大妄想」ではないかと思うほどの大スケールでものを考えるのです。

 ですから、六波羅蜜の「精進」についても、私たちの考えるような「精一杯・できるだけ」などというものではありません。

 ごく一部を私の意訳でご紹介すると、こんな感じです。


 もし菩薩・大士が一年かけて行なった事業を振り返って、とても長かったという想いになるようなら、まさに「怠慢な菩薩」と名づけられると知るべきである。
 もし菩薩・大士が一年かけて行なった事業を振り返って、ほんの一日のちょっとした片付け仕事のように思うなら、まさに「精進の菩薩が精進波羅蜜多にしっかり踏みとどまっている」と名づけられると知るべきである。……

 もし菩薩・大士が一カルパかけて行なった事業を振り返って、とても長かったという想いになるようなら、まさに「怠慢な菩薩」と名づけられると知るべきである。
 もし菩薩・大士が一カルパかけて行なった事業を振り返って、ほんの一日のちょっとした片付け仕事のように思うなら、まさに「精進の菩薩が精進波羅蜜多にしっかり踏みとどまっている」と名づけられると知るべきである。

 ……もし菩薩・大士がカルパ数を考えて限界を設けるようなら、精進し勇猛果敢に覚りの行を修行し、この上なく等しいもののない覚りを求め覚ったとしても、まさに「怠慢な菩薩」と名づけられると知るべきである。
 もし菩薩・大士が次のような考えをしたとしよう。たとえ数限りない大カルパを経ても精進し、勇猛果敢に覚りの行を修行して、必ずこの上なく等しいもののない覚りを覚ろう。私は、この上なく等しいもののない覚りを追究する上で、決して心に厭きや嫌気や挫折感を起こしたりはしない、と。〔このような菩薩・大士こそ〕まさに、「精進の菩薩が精進波羅蜜多にしっかり踏みとどまっている。精進波羅蜜多を修行して速やかに完成し、生死輪廻を超越してただちに一切の智慧を得る智慧を覚り得て、もろもろの心ある生き物(有情)のために大いなる益をなす」と名づけられると知るべきである。


 これは、ほんの一部にすぎません。こうした文章が表現や比喩を変えて実に長々と綴られているのです。まさに、取りようによっては「誇大妄想」の不可能な理想です。

 しかし、そうした経文を読んで、「こんなのは誇大妄想だ、キレイごとだ」、「とても私などには無理だ」という反応をするか、「及ばずながら、そうありたい」という反応をするかは、読む人しだいだと思うのです。

 私は、これまでにも書いたとおり、MUST化しないかたちで、「及ばずながら、できるだけ、そうあれるといいなあ、そうありたいなあ」という気持ちで、また許されるならばもう一年精進したいと願っています。

 年頭の所感というほどのものではありませんが、そういうわけなので、本年もよろしくおつきあいのほどお願い申し上げます。



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第12回KOSMOSフォーラム案内

2007年08月22日 | Weblog



主催の財団法人国際花と緑の博覧会記念協会は、招聘の打診のためにウィルバーを訪問する機会を下さったり、ウィルバー『万物の理論』(トランスビュー)の出版の援助をして下さったりと、筆者と大変ご縁の深い団体です。

とても興味深い企画です。まだ席は残っているようです。参加ご希望の方は問い合わせ・申し込みをしてみませんか。
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地震お見舞い申し上げます

2007年07月16日 | Weblog

 朝からずっとテレビを見ていなかったので、ついさっきになって新潟の地震のニュースを知りました。

 昨日の台風といい、今日の地震といい、天災が続いていて、科学的にいえば、台風の大型化はまちがいなく温暖化が原因であり人間に責任があり、地震は地殻の変動の問題で責任はないという違いはあるのですが、ともかく人間の傲慢さへの大自然からの警告という感じがしてなりません。

 しかし、必ずしも責任の重い、強い人間ではなく、しばしば直接責任のない、弱い方が被害に遭われることには不条理さも感じずにはいられません。


 被害を受けられた方に、心からお見舞い申し上げます。

 ショックや疲れで体を壊されませんように、一日も早く復旧できますように、心を込めてお祈りさせていただきます。

 また、亡くなられた方のご冥福を心からお祈りさせていただきます。

 読者のみなさん、何はできなくとも、せめてご一緒にお祈りしましょう。
 
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息長く気長に続けます

2007年03月09日 | Weblog


 「還暦でもあることだし、このあたりで一区切り」と、春休みを利用して長年溜め込んだ本の整理をしています。

 本と一緒に整理している書類の中から、新聞に書いたコラム記事の切り抜きが出てきました(「日本霊性紀行」17、新宗教新聞98.7/25)。

 10年近く前も、本の整理で溜息をついていたのだなあ、と苦笑しました。

 たぶん、ブログ読者のみなさんはお読みになっていないと思いますので、軽い息抜きに読んでいただこうかなと思い、掲載することにしました。

                         *

 今、段ボールの山の中で原稿を書いている。ここ20年余り自分が企画した本と、会社に貯め込んだ文献や書類を自宅に送り返したからである。どう整理しようかと、いささか溜息が出る。

 文献について言えば、仏教、心理学・心理療法を中心に、現代思想、世界史、日本史、日本思想史、人類学、生物学(特に進化論)、宇宙論、東西の思想の古典、その他文学なども含め、我ながらよく貯め込んだものだと思う。正直に言うと――蔵書家はたいていそうだと思うが――こなせた分より、そのうち読みたい、読まねばと「積ん読」になっている分のほうが多く、『私はこういう本を読んできた』などという本はまだ書けそうもないが、それでも、読めた分も少なくはない。

 その間、趣味的に読んだ部分を除くと、問題関心は自分でもあきれるほど明快である。なぜ、人間は戦争や環境破壊などという愚かなことをやってしまうのか、なぜ、単純に仲良く楽しく生きて楽に死ねないのか、その原因を解明し、その解決法を見出したいということだった。そしてそれは、自分に与えられた力と時間では、かなりしんどい作業だった。

 で、それは見出せたのかと自問すると、荒削りながら糸口は見出せたというのが自答である。しかし、あるタイプのライター――最近は良かれ悪しかれ少なくなったが――に見られるこうした大きな構えは、ひとから見ると知識や思索の不足によるひどい思い込みにすぎない場合も多い。私にはエディターの目もあり、それはよく知っているつもりだから、独りよがりではないかどうか、ここ十年余り著作・発言活動をして世に問うてきた。

 基本線をモットー風にまとめれば、「理性と霊性の統合」と「個の変容と社会の変容を同時に」である。それを様々な角度から探り語ってきた。それは最近繰り返しているように、日本の神仏儒習合の精神的伝統の再発見にもつながってきている。

 そして、そうした発言に対し、大反響、圧倒的支持とはいかないが、市民からも専門家からも、かなりの手応えと共感は得つつある。(以下略)

                         *

 有り難いことに、このコラム記事の頃に比べると……依然として、大反響、圧倒的支持には到っていませんが……手応えと共感は確実に大きくなってきました。

 もう一息、いや二息か三息か……といったところでしょうか。

 まあ、これまでも息長く気長にやってきたので、いずれにせよ、これからも続けます。




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青色深刻

2007年02月14日 | Weblog

 気象庁発表によれば、春一番でした。

 例年より20日も早く、しかも東京で初雪が降らないまま春一番が吹いたのは、観測史上初めてだとのことでした。

 しかし、国会の論戦はまさに「どこ吹く風」で、異常気象、温暖化の話はどこにもありません。

 NHKの世論調査によれば、初めて安倍内閣の支持率の非支持が支持を上回ったそうですが、民主党の支持率は横ばいで、無党派層がますます増えているようです。

 気持ちはわかるのですが、「支持政党なし」では政治は変わりません。いよいよ私たちがほんとうに支持できる政党が必要な時期になってきましたね。


 ところで、私は、ジョークで「顔が真っ青、青色深刻」と呼んでいる、1年でいちばんストレスフルな青色申告の季節となり、帳簿整理に苦しんでいます。

 というわけで、記事更新がなかなかできません。

 もう一息というところまでは来ているんですが……




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充電期間中?

2007年01月26日 | Weblog

 そろそろ本格的な授業を再開しなければと思いながら、なかなかエンジンが本格的に始動しません。

 サングラハの講座のほうは、すでに本格的に始まっているのですが。

 講座のない日には、いろいろ片付けなければならないことが出てきて、会報『サングラハ』の原稿も遅れ遅れです。

 ようやく、少し書き進めています。


 昨日は、藤沢の講座、フランクルの第2回目、参加者も1名増え、学びも深まっています。

 フランクルの思想は、学び直すたびに、ほんとうに深いな、と思います。

 人生が、楽をするため、楽しさ、快楽のためにあると捉えてしまうと、楽でなく楽しくなくなったら、人生が嫌になり、さらには死にたくなったりする。

 しかし、人生は意味の実現―体験のチャンスだと捉えると、どんな状況でも意味深く生き抜くことができる。

 意識的に、責任的に、自由意思を行使して、意味の実現を選択していくことにこそ、人間の人間らしさ、自分のかけがえのなさが現われる。

 苦しくとも厳しくとも、何か創造的な行為ができれば、その人生には意味がある。

 たとえ創造できなくなっても、美しい自然、すばらしい芸術、そして何よりも「この人に会えただけでも、生まれてきたかいがあった」といえるほどの人との出会い、という体験があれば、その人生に意味がないと誰がいえるだろう。

 そして、さらに創造も体験も困難な状況になっても、なお人間にはその困難・苦しみ・運命をどう受け止めるかという態度を選択する能力が残されている。

 運命を受け止めるその態度のなかに、人間のもっとも高貴な本質が現われる。

 困難・苦しみ・運命をも意味実現のチャンスと捉えてしまえば、もうこの人生で恐れるものは何もなくなる。……と。


 今日は、若者の手を借りて書棚と折りたたみイスを買いに行って、イスは持ち帰りでミーティング・ルームに運び、「持続可能な緑と福祉の国・日本をつくる会(仮)」の準備委員会のための会場準備をしました。


 というわけで、ブログ受講生のみなさん、本格的な記事はもう少し待ってください。

 コメントをくださったみなさん、返事が遅れて申し訳ありません。少しずつ書きます。




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平和と調和という国家理想:十七条憲法第一条

2007年01月22日 | Weblog

 聖徳太子「十七条憲法」は、604年に発布された日本の最初の憲法です。

 そもそも「憲法」という言葉自体、「十七条憲法」に由来するものです。

 ところが、戦後、かつてお話したような事情で、日本人が自分の原点を忘れてしまうような教育制度が出来上がってしまいました

 日本史や倫理の時間にほんの少し仏教の話、聖徳太子の話が出てはきますが、「十七条憲法」の全文を高校までの授業でちゃんと読む機会を与えられた人は、ほとんどいないでしょう。

 私も、読んだ記憶がありません。授業時に聞き取り調査をしていますが、私の学生の中でもこれまでのところ1人もいないようです。

 しかし、良かれ悪しかれ、これは日本という国の出発点・原点です。

 価値判断の前に、ともかく私たちは読んでみる必要があるのではないでしょうか。

 読みもしないで、進歩主義的偏見で「古い」とか「右よりだ」とか「保守反動だ」と言ってしまうのは、おなじくちゃんと読まないで信奉する保守主義的偏見とおなじくらい不毛でフェアでない態度だと思います。

 そこで、これからしばらくみなさんに原文(の書き下し)と私の現代語訳をご紹介し、短いコメントを加えて、判断の材料にしていただこうと思います。


一に曰く、和をもって貴しとなし、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ。人みな黨(とう)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらん。

第一条 平和をもっとも大切にし、抗争しないことを規範とせよ。人間にはみな無明から出る党派心というものがあり、また覚っている者は少ない。そのために、リーダーや親に従わず、近隣同士で争いを起こすことになってしまうのだ。だが、上も下も和らいで睦まじく、問題を話し合えるなら、自然に事実と真理が一致する。そうすれば、実現できないことは何もない。


 ここには、日本という国がもっとも優先的に追求すべき国家理想は人間と人間との平和――そして後でお話しすることで明らかになるように人間と自然との調和も含まれています――であることが高らかに謳われています。

 しかもそれだけでなく、争い・戦争というものは無明*から出てくる自分たちさえよければいいという党派心から生まれるという深い人間洞察が、短い言葉のなかでみごとに表現されています。

 無明がなくならないかぎり、戦争はなくならない、平和は実現しない、人間と自然との調和も実現しないのです。

 しかし、たとえまだ無明を克服し覚ることのできていない人間であっても、心を開いて親しみの心をもって、事柄とコスモスの真理が一致するところまで徹底的に話し合うなら、たとえどんなに困難なことでも実現できないことはない、というのです。

 近代的な民主主義のまったくない時代に、私利私欲ではなく理想を目指して徹底的に議論すること、話し合いによる政治を提唱し、「和の国日本」の建設という当時の状況からすればほとんど不可能に見える大国家プロジェクトをみんなで立ち上げよう、と太子は呼びかけています。

 この理想、このプロジェクトは1400年経っても、残念ながら実現されていないのではないでしょうか。

 これは、私たち日本人の立ち帰ることのできる原点、立ち帰るに値する原点、立ち帰らなければならない原点だ、と私は思うのです。

 *ところで、ここで念のために言わせていただきますが、私は右でも左でもありません。右の妥当な面と左の妥当な面を統合したいと思っているのです。



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暮・リヒテルのバッハを聴きながら

2006年12月25日 | Weblog






 リヒテルの、透明できらきらしていながら深みとどこか渋さも感じさせる「バッハ平均律ピアノ曲集」のCDを聴きながら書いています。

 特に嬰へ短調のプレリュードが、しみじみと美しく、1年を振り返る季節にぴったりです。

 この1年は、まず何よりもスウェーデン・イヤーでした。

 何度も書いたことですが、経済・財政と福祉と環境のみごとなバランス、ここまでやれる国があるという驚きと希望、そして日本の現状との落差にため息、という感じが続いています。

 それから、去年8月から始めたブログの記事を書き続けることにも、時間と精力をかなり注ぎました。

 ちょうど1年ほどで、コスモロジー教育=コスモス・セラピーと仏教-唯識について、できるだけわかりやすくしかも体系的に書くという作業は完了しました。

 続いて、環境について考えてきたこと(「自然成長型文明に向けて」とスウェーデンのこと)もまとめました。

 もちろん、シンポジウムの準備にはもっとも時間を費やしました。

 そんなこともあって(その他のこともあるのですが)、今年は1冊も本を出さずじまいになりました。

 こんなことでは物書きの端くれとしては生活にかかわるので、来年は何とかしたいと思っています。

 だいぶ前から懸案だったアドラーの翻訳から取り掛かろうかな……。

 それから『サングラハ』誌で連載した「落ち込みを克服する6つの方法」を単行本化できるといいのですが。

 「空」について、思想としてはかなりしっかりと理解できたつもりで、それがまちがいないかを確かめるためにちょっと見てみようと思った『摩訶般若波羅蜜経』が思いがけず興味深く、引き込まれて読み続けていて、全90品(「ほん」と読みます。現代風にいえば「章」のこと)のうち第70品にまで到達しました。

 年内に読了したいと思っていますが、いろいろな用事もあるのでどうなるでしょう。まあ、must化はしないことにしていますが、かなり強くpreferです。

 その影響を受けて、道元禅師『永平広録』は途中で止まってしまいました。これは、来年かな。

 帳簿のまとめ、レポートの評価、部屋の片付け、床のワックスかけ、エッセイを1本……ものすごく忙しいというほどではありませんが、そこそこに忙しい、でもちょっと考えたり、感慨にふけったりする時間もある、いい暮れにできそうです。

 でも、出産をひかえているので大事をとって長女夫婦と孫娘がこの暮正月は帰ってこないのと、次女も仕事のつごうで31日の夜にしか来られないので、ちょっとさみしい気もする暮です。




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仏教とキリスト教のフュージョン?

2006年10月28日 | Weblog

 最近読み続けている『摩訶般若波羅蜜経』(昭和新纂国訳大蔵経版)は、全部で90品(章にあたる)もある、長いお経です。

 これまで何度も挑戦しかけて途中で挫折したのですが、今回はなぜか続いています。

 といっても、他の仕事の合間を見ながらなので、まだようやく第40のところまで到達したところですが。

 でも、この調子なら、最後まで読み通せそうです。

 続いている理由を考えみると、2つあるようです。

 1つは、かつて読み始めた時は意味を十分に読み取れなかったので、文字面を追っているだけになって厭きてきたということです。

 今回は、「なんと深いのだろう!」と驚くことができる程度に読み取ることができているのです。

 年季は重ねるものです(もっと年季を重ねたら、もっと深いと思うことでしょう)。

 もう1つは、繰り返しが多いことの意味も感じられるようになったことです。

 わかったつもりになり、おぼろげに覚えてはいても、しっかりとわかりしっかりと記憶してない修行者が、声に出してこの繰り返しを読んでいるうちに知らず知らずのうちにそのリズムと一緒に内容のもっている雰囲気が無意識(アーラヤ識)に熏習され定着していく、というのがお経の文句の繰り返し効果なのではないかと思うのです。

 私は、まだ声に出して読んではいませんが、目で追っているだけでもそういう感じになってきます。

 これから、この書き下し文をお経として読んでみるとさらにいいのではないか、やってみようという気になっています。

 ところで、今夜は仕事の後で、ものすごく久し振りにかみさんとコンサートに行きました。

 サングラハの仲間のお母様が加わっている合唱団のコンサートで、招待していただいたのです(感謝、合唱に合掌)。

 プログラムはプーランク『グロリア』とデュリュフレ『レクイエム』、そしてアンコール曲はフォーレ『レクイエム』の一部という、近代フランスの宗教音楽づくしでした。

 どれも心洗われるような美しい曲、感動的な演奏でした。

 指揮者、合唱団、オーケストラ、オルガニスト、全員に心から拍手をしました。

 帰り道、デュリュフレかフォーレのレクイエムをバックに道元『正法眼蔵生死巻』か『摩訶般若波羅蜜経』のどれかの品(章)の朗読をやってみてはどうか、きっと感動的になるのではないか、というアイデアが浮かびました。

 そのうち、密かに実行して、MD録音でもしようかなと思っています。

 成功したら――「たら」です――サングラハの関係者のみなさんには、お聞かせするかもしれません(著作権の関係で内部使用にとどめざるをえないのがちょっと残念ですが)。

 かつて、新潟・旧山古志村の木喰観音堂で、CDプレーヤーでバッハのカンタータ『目覚めよと我を呼ぶ声あり』(カール・リヒターの指揮のもの)をバックに流しながら『般若心経』を唱えたことがありましたが、実によかったので、今回もきっといいのではないかと予想しています。



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夏の京都で

2006年08月11日 | Weblog

 先日、四国に行く時、途中下車して、暑い暑い京都を歩きました。

 夏ならではの花(ノウセンカツラ、サルスベリ)と、夏の紅葉に出会いました。

 真夏も、京都は美しかった。

 醍醐寺の庭園が実にすばらしかったのですが、撮影禁止でした。









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美しい海-瀬戸内海

2006年08月10日 | Weblog

 先日、四国の大学の夏期集中に行く途中、瀬戸大橋から撮った瀬戸内海の風景です。

 あまりに美しいので、みなさんにシェアしたくなりました。

 というか、瀬戸内海は、私のふるさとで、つい自慢したくなったのかな。

 ともかく、日本には(も)美しいところがたくさんあります。

 「美しい日本の私」ですね。













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もうすぐ夏休み?

2006年07月13日 | Weblog

 今週は、まず一つの学部で前期授業が終わりました。

 これから、たくさんのレポートを読まなければなりません。

 メッセージがどのくらい届いたか楽しみなのと、作業としてはちょっと大変なのとで、複雑な心境です(若者なら「ビミョー」というところかな)。

 その次は、サングラハ教育・心理研究所の会報『サングラハ』の第88号の原稿を書くのに追われていました。

 さっきようやく終わったところです。

 つかの間の解放感!

 明日はもう一つの学部で授業終了。

 来週もう一回で、すべて終了です。

 といっても、すぐに福井・永平寺での講演、四国の大学での夏期集中と、この夏もあまり夏休みにはなりそうにないのですが……

 ま、働けるうちが花、と思うことにしましょう。



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メッセージの種

2006年05月15日 | Weblog



 今日は一日、研究所の会報『サングラハ』の原稿を書くことで終わりました。

 ブログも会報も著書も……みんな生きる意味と希望のメッセージのつもりです。

 タンポポの綿毛の種のように、いろいろなところへ自由に飛んでいって、また花を咲かせてもらいたいものだと思うのです。



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本日休講の言い訳

2006年04月05日 | Weblog

 コスモス・セラピーのワークの一つに「自分の長所を6つ以上あげる」というのがあります。**
 これは、日常の場面でやると「バカじゃないの」と思われるでしょうが、「自己価値感」を高めるために、あえてわざわざやるわざです。

 ちょっと一つだけあげさせていただくと、私の長所は何と言っても「幅広い好奇心」です。
 お陰で、特定の領域のことしか知らない「専門バカ」にならないですみました。

 もっとも、「長所は短所」(逆もまた真なり)で、幅広すぎて、どの分野でも専門家になりきれなかったということもあります。
 ま、全然、後悔していないんですけどね。

 しかし、今ちょっと苦労しているのは、欲張ってあまりにもいろいろな分野の大量の本を買いすぎたということです。
 引越しするたびに、涙を呑んで、蔵書の半分くらいは処分するのですが、それでもまた溜まります。

 それが残念で、一度、永住するつもりで3階の屋根裏部屋はすべて図書室という家を建て、安心して溜め込んでいましたが、またもっと狭い所に引っ越しすることになり、またまた涙を呑みました。
 しかしあまりにも惜しいので、頼み込んで、2ヶ所で預かってもらうことし、そのうち引き取ろうと思っていたのですが、それでなくても狭い自宅にも溜まるばかりで、ずっとそのままになっています。

 ……あ、みなさんにはどうでもいい話をしているかもしれませんね。
 ちょっとマニア的な愛書家・蔵書家には、心の底から共感してもらえると思うんですが……。

 これは、本日休講の言い訳をしているのです。

 というわけで、蔵書のことではけっこう悩んできたのですが、ふと気づくと、どう計算しても死ぬまでに蔵書のすべてを読むことはできないという歳になっていました。
 私は、本を読むのはそうとう早いほうだと思っていますが、それでも計算すると――実際に計算したことがあるのですが――今の蔵書のうちまだ読んでいない分の半分も読めないことははっきりしています。

 今年59歳、あと1年で60歳、還暦なので、そろそろ、どうしても読んでおきたい本と、できれば読みたい本と、読まなくてもまあいいかという本を、ちゃんと整理しておきたいなと思ったのです。

 で、ワークショップの後、まだ大学の授業が始まっていないので、ここでまず第一回目の整理をできるだけしておこうと、おとといから2日丸々費やしたのですが、まだ片付かず、今日も取り組んでいます。

 他に『サングラハ』の次号の原稿もそろそろ仕上げなければなりませんので、今日はちょっと公開授業は休講にさせていただきます、というわけです。

 たぶん、明日にはまた書けると思います。お待ちいただけると幸いです。


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