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私の体には宇宙138億年の歴史が込められている?

2005年10月15日 | いのちの大切さ

 まず宇宙が始まって1兆分の1の1兆分の1のそのまた100億分の1秒くらい経った時、物質の元の元になる基本粒子にレプトンとクォークの区別が生まれ、1万分の1秒くらい後にクォーク同士が結合して陽子や中性子といった複合粒子が生まれます。

 そして、その後の数分間で陽子と中性子が結合して重水素、ヘリウム、リチウムなどの原子核も作られます。

 ご存知のとおり、原子は、原子核とその周りにある電子からできています。

 ビッグバンから10~30万年くらい経った頃、レプトンの一種である電子一個が陽子一個に捉えられ、その周りを回りはじめます。

 水素原子の誕生です。

 英語の科学用語で創めて発生するという意味の emergence という言葉があり、「創発」と訳されていますが、私はこの言葉の響きがとても好きなので、こちらを使いましょう。

 ビッグバンから10~30万年後、宇宙カレンダーだと、1月1日、午前0時4~12分頃、水素原子が創発したのです。

 実に見えないミクロの世界――しかもその頃は人間などおらず、したがって目もありませんから、そうでなくても見えないわけですが――で、宇宙で創めての原子が創発する……なんとも不思議なことだと思いませんか?

 水素(特にその原子核)は、標準的な仮説では、宇宙の誕生後、もっとも初期に形成された、もっとも単純で基本的な原子(原子核)だといわれます。
 
 そしてそういうわけで、水素は、今でも宇宙の物質の90パーセント以上を占めているそうです(斎藤一夫『元素の話』培風館、九八頁)。

 初期の宇宙は、水素原子(あるいはヘリウムもあったかもしれませんが)だらけ、濃密な水素の霧状態だったようなのです。

 科学的な正確さをあまり気にしないで、その状態を想像してみてください。

 実にすごい! 実に不思議! と私は思わざるをえません。

 水素、特にその原子核をなしている陽子は、そう簡単に壊れたりしないもので、陽子の寿命は宇宙の現在までのところの年齢138億年よりもはるかに長いといいます。

 陽子の寿命なんてものまでわかっているんですねえ。

 どのくらい長いかというと、10の32乗年以上だそうです(桜井弘『元素一一一の新知識』講談社ブルーバックス)。

 1の後に0が32個付くということは、億や兆といった私たちが知っている数の名前では呼べないほどの大変な長さです。

 ちなみに、兆の上が垓(がい)、その上が禾に予で「じょ」〔字がありません〕、その上が穣(じょう)、その上が溝(こう)で、ようやく10の32乗です。

 気の遠くなるような長さですね。

 こういう話だけでも驚いたり、感動したりする人もいるでしょうが、「宇宙」は自分や地球の外側にあるとイメージしていると、「それがどうした。私には関係ない」という気がする人もいるかもしれません。

 しかし実は、その水素の原子核はおそらくまちがいなく、宇宙創成以来138億年の歴史を抱えて、そのまま私やあなたの体の一部になっているのです。

 「え?」と思う人が多いでしょう。

 でも、初歩的な理科の知識を思い出してください。

 水の分子式って、どうなっていましたか?

 そう、H2O でしたね。

 で、Hは? そう、水素。

 Oは? そう、酸素、でしたね

 つまり、水の分子には水素が含まれているわけです。

 そして、私たちの体の70パーセント近くは水分だそうです。

 つまらない冗談をいうと、だから、どんなに干からびたような方でも、人はみんなみんなみずみずしいんですね。

 元にもどりましょう。

 ですから当然、私たちの体には多くの水素原子、つまり水素の原子核も入っているわけです。

 後でお話ししていくように、生物は今から40億年くらい前に海中で生じたと考えられていますが、「陸に住む生物も含め、現在の生体内に最も多い物質は化合物でいうと水であり、元素としては水素と酸素である」(前掲『元素の話』、116頁)といわれています。

 さて、ここからがポイントです。

 私の体に水があり、したがって水素がある。

 それは、「今ここにいる私の体には、まちがいなく宇宙138億年の歴史が込められている!」ということです。

 宇宙創成後まもなく創発した水素(の原子核である陽子)は、そのまま壊れることなく、私の体の中にある、というより私の体を成しているのです。

 これはとても感動的です!

 初めてそのことに気づいた時、「そうか、そうなのか!」と、筆者自身とても驚き、いたく感動しました。

 しかし、それは専門的にいってまちがいないのかという気がしてきて、何人もの専門家にたずねました。

 そうすると、どの方も「そうですね、いわれてみると、そういうことになりますね」と答え、一緒に感動してくださる方も少なくありませんでした。

 私の体には宇宙138億年の歴史が入っている――これは、まちがいない事実のようです。

 今までは気づいていなかったので、「関心」がなかった、だから「関係ないと思っていた」だけなんですね。

 事実としては、水素原子があることは、私が今ここに生きていることと切っても切れない「関係がある」し、宇宙138億年の歴史にそのままつながる「関係がある」のです。

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いのちのつながりと重さ

2005年10月06日 | いのちの大切さ

 私たちそれぞれには、例えば40代遡ると延べ10兆人以上のご先祖さまがいますが、実数はもちろんそんなにいるわけではありません。

 それどころか、昔の日本の人口は、縄文時代2万人、弥生時代59万人、奈良500万人、平安650万人、鎌倉700万人、江戸末期3200万人くらいと推定されています(鬼頭宏『環境先進国・江戸』PHP新書)。

 その人数のご先祖さまから現在の1億2千万人あまりが生まれたのですから、日本人はほとんどどこかで重なった共通の先祖を持つ遠縁の親戚だと思っていいようです(複雑になるのでここでは帰化人の話などは省きますが)。

 それどころか、最近、もしかすると全人類が1人の共通の女性「ミトコンドリア・イヴ」から生まれたのかもしれない、という説もあるくらいですから、人類はみんな親戚だと思っていいのです。

 実際の教室では、学生諸君に、「あの人も、この人も、みんな親戚なんだよな、すごい遠縁かもしれないけど」と思いながら、まわりの人の顔をしみじみ見てください、という小さなワークを行ないます。

 ネット学生のみなさんも、よかったらまわりの人の顔を、「親戚なんだな」と思いながら見てみてください。

 ただし、知らない人をあまりジロジロ見ると、いろんな風に誤解されますから、そのあたりは注意して、適当にやってください。

 それはともかく、親だけでなくそうしたご先祖さまの1人1人も、善人だろうが悪人だろうが、美人だろうがそうでなかろうが、私たちは自由に選ぶことはできません。

 ここで、すぐに親孝行や先祖崇拝の話をするつもりはありません。

 しかし、こうした無数のいのちのつながりの中で私のいのちが生まれたことは「事実」だ、ということに気づいていただきたいのです。

 あまり好きでない親だとしても、親から生まれた、まったく知らない先祖だとしても、私たちは自分のいのちを先祖から引き継いでいるのです。

 現代では「関係ない」と思っている方が多いようですが、実はそれは「関心がない」だけで、事実としてはまぎれもなく、いやおうなしに「関係ある」のです。

 そういうことはみな過去のことで、今感覚的には実感がないとしても、よく考えれば――つまりしっかりと理性を働かせて推測すると――ほぼ疑いようがないことだという意味で、「事実」といってもいいのではないでしょうか。

 そのことが確かに事実だと思えた方は、ちょっとだけ次のステップに進んで、考えてみてください(思えない方は、この段階ではさらっと読みとばしてもかまいません)。

 人間は、生まれただけで後は自分で生きていけるでしょうか?

 いけませんね。赤ちゃんは、できることといったら泣くこととおっぱいを吸うことくらいです。

 しかもおっぱいも口のところまで持ってきてもらわなければ、自分で探して吸うことはできないのです。

 そのくらい無力な状態で生まれてくるというのは、動物としてはかなり特殊なことのようです。

 ウマの赤ちゃんなど、生まれて間もなく立ち上がってよちよち歩きをはじめますし、すぐに母ウマの後から走るようになります。

 おサルさんの赤ちゃんなど、生まれて間もなくもうお母さんの背中にしっかりとしがみついて、お母さんが木から木へとジャンプしても振り落とされないくらいの力があります。

 ところが、人間はまずは「おんぶにだっこ」で、さらに1人前になるのには10年以上20年くらいかかります(最近は、もっとかかる人が増えているようです)。

 さて、この養育期間、母親と父親は子どもために必死に働きます(もちろん残念ながら例外はありますが)。

 生み、そして必死になって育てることを、何と表現すればいいでしょう?

 努力、苦労……いろいろあるでしょうが、それらは結局、「愛情」ということに尽きるのではないでしょうか?

 もしあなたの両親から祖父母、曽祖父母……ご先祖さまのだれかが、最近かなりよく聞くような「結婚しても、子ども生んでも、お金がかかったり、自分のやりたいことをやれなくなって、何のメリットもないから、結婚もしないし子どもも生まない」というセリフをいって、いのちを次の世代につなぐことをサボったら、恐ろしいことですが、今日ここにあなたはいない……んですよね?

 私たちの無数のご先祖さまは――若干の例外はあるにしても――みんな、必死になって次の世代のために、努力、苦労し、愛情を注いでくれたのではないでしょうか。

 考えてみてください。例えば原始時代、例えば古代、いや、日本でいえば江戸時代や戦前でさえも、子どもを育てるというのは、けっして楽々できるようなことではなかったはずです。

 飢え死にさせないように、「食べさせる」だけでもきわめて大変な時代がずっとあったのです。

 そういう時代に生きた、そういう無数のご先祖さまの努力、苦労、愛情が、いのちを私にまでつなげてくれました。

 言い方を代えれば、私たち1人1人は、数え切れないほどのご先祖さまたちの「愛情の結晶」ともいえるのではないでしょうか。

 数え切れない数の人々の愛と努力の結晶を、だれが「意味がない」とか「価値がない」とか「生きていても死んでもおなじようなものだ」とかいえるでしょう?

 私たちのいのちは、そうした無数のご先祖さまたちの大変な努力の結晶、深い愛情のプレゼントなのですから、「重い」というほかないのではないでしょうか?

 「軽いほうがいい」、「軽く考えたほうが気が楽だ」と思っているみなさん、よかったら、ちょっとだけ考えてみてください。

 存在の価値がすごく軽い自分と、きわめて重い自分と、どちらが自信が持てますか?

 あなたは、自信を持ちたいと思っているんじゃないんですか?

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美しい銀河の中の私

2005年09月04日 | いのちの大切さ

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 明るい話の先取りを少し。

 写真は、私たちの天の川銀河にいちばん近い――といっても230万光年の彼方ですが――大型銀河、アンドロメダ銀河です。

 私たちは、これに似た美しい銀河の中に生きているのです。

 作家川端康成のノーベル賞受賞記念講演のタイトルは「美しい日本の私」(同名の講談社現代新書に収録)でしたが、私たちは「美しい銀河の中の私」であるわけです。

 望遠鏡の発達していなかった時代のパスカルは、夜空を見たとき、「この果てしない空間の永遠の沈黙が、わたしにはおそろしい」と感じたのですが、私たちはこういう写真を見ると、「宇宙は美しい!」と感じてしまいます。

 それが、近代人と現代人のちがいだといっていいでしょう。

*インターネットで探していて、この写真をダウンロードした後で著作権の表記のことに気づきましたが、どのHPだったか、わからなくなってしまいました。著作権者の方、申し訳ありません。
コメント (2)
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