素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

おもいびと

2015年08月25日 | 日記
 BS時代劇「一路」の中で使われている言葉で「おもいびと」が気に入っている。父の急死で国元に初めて帰った一路が父親同士で決めていた許嫁の薫に婚約の返上申し出た時、薫の「なぜ?」への返答で「江戸におもいびとがいる」と嘘をついたシーンや諏訪の領主の娘乙姫のわがままな一目惚れのために、とんだ濡れ衣を着せられた一路が囚われの身から解放され、城を出たところで待っていた姫とのやり取り。領主の娘という生まれながらの自由のなさの辛さを吐露した姫に一路は「乙姫さま、私もおのれの身の上をうらんだことがございました。この命を絶つしかないとまで思ったことも。しかし、それでも生きる道を選んだからこそ得ることのできた光がございました。」と返す。それを聞いて乙姫がポツリと一言「おもいびとか」。続けて一路が「立場は違えど乙姫さまも、あきらめることさえなされなけれえばきっと幸せが訪れます。そうお祈りいたしています。」と言って別れる。

 『おもいびと』広辞苑を引くと『心に思う人。愛人。こいびと』とあるが愛人とか恋人という表現とは語感が違う。小谷野敦さんの『性と愛の日本語講座』(ちくま新書)によれば「恋人」という言葉が一般化するのは明治以後だという。徳川期には恋愛関係にある相手のことは「情婦」「情夫」と書いて「いろ」と読ませるのが一般的だった。、「現代日本では妻のある男が別にこしらえた女のことを「愛人」と呼ぶのが一般的であるが、明治の頃は「恋人」が同じような使われ方をしていたという。最近よく使われている「パートナー」を小谷野さんは酷評している。

 あらためて性と愛にまつわる日本語の意味の由来や変遷を読み返しているが、「おもいびと」はない。これでしか表せない関係があるなあとドラマを見ながら思った。
コメント
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