某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

8月の思い出

2014-08-02 01:47:33 | ちょっと面白い話
 8月になるとどなたも何か特別な思いをされると思う。私にも沢山ある。今日はそのうちの近親者についての話を書こう。
 一人は家内の父。若く(57?)して亡くなったが独立独歩の男。八王子の商店主。隣組の集まりでもすぐ「この戦争は負けだ、早く家財を疎開しておかないと丸焼けになるぞ」などと言うので、近隣の人々の愛国心を逆なでし、警察に通報されて度々留置所に入れられた。敗戦直前の8月1日に八王子は大空襲。親父は例によって留置所に入れられていたが、解放された。さすがに、留置所で焼き殺すわけにはゆかなかったのだろう。避難民でごったがえす多摩川の橋上で家族6人とばったり出会い、思わず「馬鹿野郎!」と怒鳴ったと言う。家内は長女で小6だったが、2歳の妹を背負って火の粉を払いはらい夢中で逃げたと言う。間もなく敗戦。近所の人々が手のひらを返したようにお世辞を言って来るのが家内は何より嫌だったと言う。
 もう一人は母方の叔父。会津の破天荒な農民。闇物資販売ということで、これも度々留置所に入れられた。とうとう拘留中に赤紙がきて留置所から出征。入営式?の時「自動車の運転を出来る奴はいないか」と言うので、即座に「はい!」と手を挙げた(実は出来ない。オート三輪を使っていたから運転出来ると思ったそうだ。全然違うのに)。営庭で一晩必死に練習して、翌日から運転手。毎日部隊長を乗せて走っていた。機銃掃射をあびて、逃げ回った部隊長が溝に落ちて泥んこになった。「隊長閣下も度胸がねえな」と笑ったと言うから気のあう二人だったのだろう。訓練なしで楽だったという。やがて敗戦。トラックに食料、毛布、ガソリンなどを山と積んで、隊長と二人一目散に逃げ帰った。「ちょっと泥棒、ちょっと非国民」と笑っていた。
 何でも器用にこなす大好きな叔父だったが、昔この話を聞いた時は(中学生だった)叔父が悪人に見えた。でも、ちょっと悪で魅力たっぷりな男、と今では思っている。

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