小泉八雲(ラフカディオ ハーン)は1850年生まれで 1890年に日本に来ている。従って、今年は生誕160年、来日120年になる。100年や150年ほどではないが、ちょっと気になるキリの良い年ではある。1904年に亡くなっているから日本には僅か14年しかいなかった。短期間にずいぶん大きな仕事をしたな、と改めて感心した。
八雲の父はアイルランド出身でダブリン大学トリニティ・カレッジ卒業の軍医さん。ギリシャのレフカダ島に駐在していてギリシアの女性と結婚した。八雲2歳の時アイルランドに戻る。彼はダブリンで主に大叔母に育てられた。今ではアイルランド作家の一人と認められ(そうなるには、数代前の駐日アイルランド大使が非常に尽力した)作家記念館に肖像写真が掲げられている。
曾孫の小泉凡さんは成城大學の卒業生。卒業式で総代として答辞を読んだ。読み終えて小泉凡と名乗ったので、ああ、彼か、とわかった。ピアノの上手な民俗学者、ラフカディオ・ハーン研究者。松江で頑張っている。先年ダブリンの作家記念館へのラフカディ・ハーンの殿堂入り記念式典が行われた際、凡さんが肖像写真除幕式の紐を引いた。
八雲ははじめ黒人女性と結婚し、離婚後日本に来て、今度は日本の女性と結婚した。彼は人種の壁を超えた人間的信頼を人間関係の基礎においていたのであろう。
八雲の父はアイルランド出身でダブリン大学トリニティ・カレッジ卒業の軍医さん。ギリシャのレフカダ島に駐在していてギリシアの女性と結婚した。八雲2歳の時アイルランドに戻る。彼はダブリンで主に大叔母に育てられた。今ではアイルランド作家の一人と認められ(そうなるには、数代前の駐日アイルランド大使が非常に尽力した)作家記念館に肖像写真が掲げられている。
曾孫の小泉凡さんは成城大學の卒業生。卒業式で総代として答辞を読んだ。読み終えて小泉凡と名乗ったので、ああ、彼か、とわかった。ピアノの上手な民俗学者、ラフカディオ・ハーン研究者。松江で頑張っている。先年ダブリンの作家記念館へのラフカディ・ハーンの殿堂入り記念式典が行われた際、凡さんが肖像写真除幕式の紐を引いた。
八雲ははじめ黒人女性と結婚し、離婚後日本に来て、今度は日本の女性と結婚した。彼は人種の壁を超えた人間的信頼を人間関係の基礎においていたのであろう。
ご自分の体験からすぐわかったのですね。
ずいぶんお会いしていませんが、お元気でしょうね。
100年以上も前に,肌の色の違う違う人を,それも,2度も伴侶として選んだハーンは、見える”物”でなく見えない”もの”を見る、何よりも確かな「こころの目」を,持っていたのでしょう。
人間はみな同じ...口で言う事は、たやすいです。
ハーンのこころの強さに,改めて思いが至ります。