某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

スコットランド旅行―英語は難しい

2012-03-22 21:31:55 | ぼやき
 多分1972年だったと思う。スコットランド一周バス旅行をした。グラズゴーでバスに乗り、エディンバラでも乗せて北に進む。始めのうちは「歴史的」建造物もあったが、あとは行き交う車なく、したがって信号一つない荒野を唯走る。見る物がないから、運転手のオジサンはサービスに小話を始めた。途中までは分かるが、落ちが分からない。大体の客はゲラゲラ笑うが、私と隣に座っているアメリカ人だけ笑えない。運転手も気にしている様子。幸い、通路の反対側に若い女性が独りでいた。オーストラリアからグラズゴーのおばあさんのところに来ていて3年になり、帰国するので始めてスコットランド見物をするという。早速くだんのアメリカ人と相談して彼女を「雇った。」二人の間に座ってもらい、皆がゲラゲラ笑うと、何が面白いのか解説してもらった。確かにオカシイ。われわれ二人がワッハハと喜ぶ。運転手君大喜び。すぐ次をやる。結構際どい話でも彼女きちんと解説してくれる。すごくいい「英語」の勉強だった。
 お茶の時間に、乗客の小母さんたちが彼女をほめていた。スコットランド英語がとても良く分かっている、と。車の中で、小母さんたちは彼女の解説に聴き耳を立てていたのだ。それで分かったのだが、スコットランド見物なのに、乗客はほとんどがスコットランドの人だった。若いスコットランド出身のご夫婦もいて、スエーデンで働いている電気技師だと言ったが、休暇で故郷に帰ってきたので始めて一周旅行が出来る、と喜んでいた。英語は難しい、と私が言ったら、「私にも難しい。anyとsomeがどう違い、どういう風に使い分けるのか、最近まで知らなかった。否定や疑問ではanyが多いんだな。any questions?」と笑っていた。そういえば私も日本語の文法は殆ど知らない、と笑った。でも、中学(戦時中)ではanyと someの使いわけを散々教えられた。日本の方が英語教育はまっとうじゃないか、と、これはひそかに腹のなかでだけ。
 ホテルで夕食をすますと皆で「キャバレー」に行く。舞台の前に木のベンチが並んでいるだけの広い部屋で、酒を飲みながらトークショウを聴いたり見たりするだけ。日本でいえば、村役場の会議室で漫才を聴いているようなもの。始めは凄かった。いきなり「SEXカウンティーから来た人は手を挙げて!」と怒鳴った。イングランドにはサセックスだのエセックスだのがあるから、Hなイングランド人は誰だ、とスコットランド人が威張っているのだ。次に、「遠い国からきた人は?」ときた。喜んだのは私達バス御一行様。同じところにかたまって座っていたから、皆で両手を挙げて「ジャパン」と怒鳴った。どう見てもスコットランドのおばさんたちが、いきなり日本人になった。司会者はびっくりしたのか、すぐには反応出来なかった。
 早めにホテルに着いた時、くだんのアメリカ人と散歩した。職業を聞くと「プレスビテリアンのミニスターだ」という。ウヘー、キリスト教の大臣か、とびっくりしたが、どうも変だ。恥を忍んで訊くと、プレスビテリアン(日本では長老派という、スコットランドの「国教」)という宗派(プロテスタント)の「牧師」のことだった。それをミニスターというとは知らなかった。足を引きずっているので、フットボールで怪我したか、と少々お世辞を言ったら、「ソフトボール」と返ってきた。おかしな坊さんだ。その時、どこかからなじみのある曲が聞こえた。二人して顔を見合わせ同時に「鳥の歌!」と言った。国連で、カザルスがあの曲を演奏し「カタロニアでは鳥はピース、ピースと鳴く」と訴え、世界中を感激させたのは、あの頃より少し前だった。同じ報道を彼はニューヨークで、私は東京で聴いて、ともに感激していたのだ。
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