某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

ロンドンの音楽会

2012-03-08 01:55:06 | ぼやき
 小沢征爾さんが体調を崩されて一年演奏を休止するという報道があった。それで思い出したことがある。1965年(昭和40年)、私が始めてロンドンに行っていた時のこと。ある日下宿のおばさんに「今度小沢征爾という日本の若い指揮者がロイヤル・シンフォニーを指揮する」と言った。「私より少し若い人だ」とも。いや、おばさんが声を荒げたね。「ロイヤル・シンフォニーは世界でもトップのオーケストラだ、日本人の・しかもそんなに若い人が指揮出来るわけがない」と顔を真っ赤にして怒った。仕方がないから予告のチラシを見せた。「書いてあるでしょ、Seiji Ozawaって」と。しかし、日本人とは書いてなかったか、あっても小さくて小母さんの老眼?では読めなかったのか忘れたが、とうとう日本人とは認めなかった。おまけに「おまえは何かとすぐ日本の自慢をする、うそつきだ」とまで言われた。数週間後大学の寮に引っ越したのには、うそつき呼ばわりされたのも原因の一つになっている(これは余計な話だが)、このようなこともあって、音楽会には良く行った。殆ど毎週。主にテームズ川南岸のロイヤル・フェスティバル・ホールに(大学から歩いて行けた。)聴いた演奏家には、ヴァイオリンのオイストラフ(指揮と演奏)、コーガン、メニューヒン(50歳の誕生記念演奏会。音楽一家だから豪勢な出演者たちだった)、パールマン(ピアノはアシュケナージ)など。勿論別の日に、アシュケナージのピアノ・リサイタルもあった。チェコフィルの弦の澄み切った音には感激した。オットー・クレンペラーは高齢で椅子に座って指揮した(どのオーケストラだったかは忘れた)おそらく最後に近い演奏活動だったろう。BBCオーケストラの第九で、BBC合唱団が歌った。席が良かったせいもあって、合唱の風圧?で耳が痛かった。あんなに凄い合唱はその後聴いたことがない。
 アシュケナージが一緒に暮らしていたイギリスのピアニスト、オグドンのリサイタルに行ったら、演奏の前にアナウンスがあった。「マルグリット・ロンが亡くなりました。今日の演奏者オグドン氏はロン・ティボー・コンクールの優勝者です。彼は今日の演奏をロンに捧げます」と。舞台にピアノがもう一台運び込まれ、ロンの写真がその上に飾られて、オグドンは静かに弾き始めた。頬をつたう涙をぬぐうのさえためらわれるほどの静寂が会場を支配していた。
 盲腸で入院したため聞けなかった「珍演奏会」がある。ピアノ協奏曲のゲネプロで、指揮者が棒を振り始めたら、オーケストラが違う音を出した。びっくりしたのは、指揮者とピアニスト。二人が持っている楽譜(曲)とオーケストラの持っている楽譜が別のものだった。忘れたが、同じ作曲家の一番と二番だったと思う。さてもう間に合わない。しかし、ピアニストは「前に演奏したことがあるから出来る」といい、指揮者も「前に指揮したことがある」というわけで、プログラムと違う曲を演奏した。入院中に新聞で此の話を知った。いや聴きたかったな。
 あまりこんなことをしゃべると、お前ロンドンで何をしてきた?などと叱られるから、今まで黙っていた。もうそろそろ時効だろう。
コメント
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