某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

「秘話」大学紛争始末記―加藤一郎と坂田道太

2012-03-09 00:26:06 | ぼやき
 人は時にとんでもない秘密を平然とバラすことがある。坂田さんの演説がそれだった。1987年、私の勤めていた学園の70周年を祝う式典での話。卒業生代表の坂田さんは前年に衆議院議長を辞していたから、もう政界の大長老で気楽な立場だった。加藤さんは坂田さんの後輩で、東大定年後母校の学園長に就任していた。盛大な式典の目玉は坂田さんの挨拶。何か出るかなと期待していたら、本当に出た。「安田講堂事件の時、加藤君は総長代行、私は文部大臣。同じ学園の合唱団で声を張り上げていた二人が、日本の大学紛争解決の双方の責任者になっていたのです。」ときた。「何としても会って前のように率直に話し合い、解決策を探さねばならない」と坂田さんは考えた。しかし、新聞記者に嗅ぎつかれたらめちゃめちゃになる。会う場所として選んだのが彼らと親交のあったピアニストの室井麻耶子さんの家。室井一家も同じ学園にかよっていた仲間だという。まず、加藤さんが室井女史の家に遊びに行く、しばらくして坂田さんが裏口から入った。(話し合いの中身は流石に云わなかった。)数時間後、坂田さんが加藤さんに「君はピアノが上手だから、何か弾いてくれ」と頼み、加藤さんがモーツアルトを弾いている途中で、坂田さんはまた勝手口からそっと出て行った。此の時に合意したのが、臨時大学立法だったという。
 規模の小さな学園で70周年の式典をやっても、新聞記者やテレビ取材などはこない。それを知っていたから、坂田さんは気楽にこうした秘話を明かしたのだろう。当時学内にも大学紛争の痕跡はまだ少し残っていたし、記憶はまだまだ鮮明だったから、もしこれが東大や早稲田での挨拶だったら、翌日のテレビや新聞で大騒ぎだったろう。
 坂田さんは「紛争解決のため大学にも大変なご援助を頂きました」と言った。臨時大学立法は出来たものの、どの大学の学長も委員を引き受けなかった。引き受けたらそこで紛争が再燃するからだ。唯一人、引き受けた学長がいた。高垣寅次郎。当時のうちの学長。坂田さんは、「高垣先生が引き受けてくださって委員会が成立しました。母校の三人が日本の大学紛争を解決したのです」と結んだ。
 冗談じゃない、と私は思った。高垣さんが引き受けたおかげで、学生はいきり立ち、せっかくおさまりかけた紛争が再燃して、ストライキが再度おこった。よその大学は収まりかけていたのに、うちはえらい目にあった。
 なんでこんな話を書いたのだろう。何も今日でなくともよかったのに。ニュースで小宮山洋子さんの何かを言っていたからかもしれない。彼女は加藤さんの娘だし、うちの大学の卒業生だから。
コメント (1)
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