▼6月2日は、亡き父の命日だった。
日々の朝(あした)に、硫黄島の英霊のかたがたへ、一杯の冷やした水に、いくつかの氷を浮かべて捧げる。
器は、ちいさな模様の入ったガラスのコップだ。どこのうちの台所にもあるような、それを選んだ。
英霊のほとんどは、ふつうの庶民だったから、そのようなコップを懐かしまれるのではないかと考えた。
それとあわせて、沖縄の白梅(しらうめ)学徒看護隊の女生徒と先生へ、水を捧げる。
器は、すこし沈んだ青色の陶器を選んだ。
そして、亡き父と、ぼくの就職のめどが立っていなかったころ実家の庭で松の木の上に浮かんだ守護霊と思われる長身で髪の長い女性(結婚で増田姓となった春子さんという明治時代のご先祖らしい…)と、それから五百年ほど続いてきたという青山家のすべてのご先祖へと、水を捧げる。
器は、ほんらいはお正月の屠蘇(とそ)に使うような、塗りのおちょこだ。
これらの水はいずれも、硫黄島の英霊への水と違って、かすかにぬるい温度の水にしている。
父は、冷たい水が苦手だったような記憶がある。
ほかのかたも、硫黄の噴き出る熱い島で苦しみに抜いた英霊とはまた違い、冷水よりも、あたたかみのある水がよいような気がするからだ。
しかし、夏の季節に入っていくと、常温の範囲内で冷水に変えていく。
このごろの暑い夏となれば、女生徒も先生も、父とご先祖さまも、ぬるい水ではいやだろうから。
いくつかの水を捧げ、それから、この国を私心なく支えているかたがたのために祈り、最後に、ぼくの残りの命を天命に捧げることをあらためて毎朝、強く誓い、自宅を出ていく。
出て行くとき必ず、ぼくの盟友から贈られたお守りを身体に付けている。
エネルギー企業に勤める、この盟友はある日突然、「青山さんを誰かが陥れようとしている」と言い、大阪で会ったときに、このお守りをくれた。
それを何気なく、タクシーのなかで首から下着のうちへ入れ、胸へ下げると、お守りがかぁっと熱くなった。
ぼくは驚いた。
お守りは、正真正銘、紙と布だけで出来ている。
熱くなるはずがない。
しかしお守りが当たっている部分の胸が、すこし火傷するのじゃないかと思うほど、熱さを感じていた。イメージの、幻の熱さじゃない。物理的な熱さだ。
ぼくはお守りを手にとって確かめた。
間違いなく、紙と布だけで、何の仕掛けもない。そして手の中でも、かぁっと熱い。
そして、しばらく時間が経つと、すぅと冷えていき、紙と布の自然な温度に戻った。
これを盟友に話すと、彼はいささかも驚かないのだ。
あなたを陥れようとした誰かの何かと闘って、熱くなり、そして鎮まったのだという意味のことを、さらりと言った。
▼さて、父の命日だった6月2日月曜日は、朝から外務省や海上保安庁をまわって、旧知の高官たちと議論した。
そのあと、お昼の12時40分に独立総合研究所(独研)から、迎えの車に乗った。
はるばる東富士にある企業の研修所へ向かう。
そこで講演するためだ。
この講演会はことしで2回目、少人数だけれど全国のさまざまな企業の「幹部になったばかりの気合いの入ったみなさん」と一緒に、われらの祖国のこれからを考えるのは、話し甲斐がある。
だから、ほんらいは車の中で、自由に発想をめぐらせて、わずか1時間20分の講演時間をどう活かすかを考えたい。
しかし、そんなことは言っていられなかった。
言っていられない火急の事情があった。
車中のぼくの膝の上には、とても大切なものが載っている。
隣の席にいる独研・秘書室のT秘書も、緊張の表情だ。
▼大切なもの、それは、新刊書の最終校のゲラだ。
6月2日月曜の昼過ぎに、PHP研究所の出版部門から独研に届けられた。
今回の出版は、ぼくにとって実に4年ぶりなのだけど、この4年間に膨れあがった仕事の種類と量のために、原稿が遅れに遅れ、その当然の結果として推敲、校正の時間が極端に限られることになった。
全責任は、ぼくにある。
▼初校のゲラが、PHPからぼくの手に渡ったのが、5月21日水曜の深夜だった。
その時点で200ページを超えていたゲラのすべてに赤を入れて(つまり赤字で直しをを入れて)PHPへ戻さねばならない「絶対期限」が、5月30日の金曜のお昼。
なんと8日間と半日しかない。
しかも、その8日半も、独研社長としての仕事や公務、それから講演、近畿大学での講義、TV出演などなどを一部でも休むことはしないから、ゲラそのものには全く、触れないままの日が続く。
ゲラ直しのための下準備、すなわち情報メモや資料の確認は、不充分ながらある程度は、やれた。
しかし赤入れそのものはゼロのまま、週が明け、金曜日がどんどんと迫ってきた。
そこでついに判断して、独研の秘書室や研究本部・社会科学部と協議して、5月29日木曜のアポイントメントふたつだけは、後日にずらした。
アポイントメントのあった相手のかたがたも公務なので、とてもとても心苦しかった。
しかし今さら出版を遅らせるなんて、出版社への迷惑、それから6月中の出版を約束した読者を考えると、絶対にできないから、やむを得ない。
それでも、これで空けられた時間は、5月29日木曜の午前中、たったそれだけ。
この日の午後には、防衛省の幹部研修での講義が入っていて、講義や講演の予定は動かさないので、ゲラ直しの作業がまだほとんど進まないまま、午後早くには、防衛省へ向かった。
防衛省でまず、アポイントメントがあった高官と、危機管理などをめぐって協議をする。
そのあと、講義をおこなう棟に向かう。
講義のまえに、かつて独研で研修を受けた、陸上自衛隊の誠実な大佐(一佐)があいさつに来る。
彼は、独研に通って、幹部高級課程(AGS)の戦略論文を作成する指導を、ぼくや社会科学部の研究員から受けて、立派な論文を発表した。
ところがそのあと病に一時期、倒れ、今では無事に快復した。律儀なこの男は、その快復のあいさつにわざわざやって来てくれたのだ。
気を遣わなくていいのに、彼の地元の名酒まで抱えてきた。
ぼくとしては本心から、気を遣ってほしくなかったが、彼の気持ちに応えるために、深く感謝して受けとった。
そして彼に、「あなたのような高潔な人柄の人間が、これからの自衛隊には必要だ。病を最後まで完全に克服して、将軍になれ」と励ました。
そのあと講義室に入り、新しく幹部になる人たちに全身全霊で講義をした。
ゲラ直しが気になってはいたが、どうしても伝えねばならないことが伝え切れていないから、時間を延長して話す。
それでも硫黄島のことが話せなかったから、「学生長」に「有志で集まろう。そこで硫黄島のことを話し、それから乾杯し、呑みながら何でも質問を受けよう」と提案した。
▼講義が終わると、自宅へまっすぐに向かう。
しかし自宅に帰ると、すでに夕刻の6時すぎ。
この自宅へ、出版社からゲラを取りに来るのが、翌5月30日金曜の午前11時半だから、17時間半しかない。
200ページを超えるゲラに、その時間内で赤を入れるのだから、当然、食事の時間はとれない。赤を入れながら、バナナでも食べましょう。
ぼくが総理番記者だったころ、当時の中曽根康弘総理がよく言っていた。「青山くん、バナナさえ食べておけば大丈夫なんだ」と。
それからお風呂もない。睡眠は、もとよりゼロだ。
一方で、まさかトイレは行かないわけには、いきません。
ふひ。
あと節目、節目で2分から5分ぐらいの休みも入れないと、頭がもたない。
それに、ふだん情報を交換しているひとびとから電話などもかかるし、すぐに対応せねばならないメールも次から次へと来るから、実際にゲラ直しに使える時間は、そうだなぁ、ほんとうは10時間ぐらいか。
すなわち1時間に20ページ以上、単純計算で言うと、2分間に1枚ぐらい仕上げないと、間に合わない。
そんなの、無理じゃん。
絶望感にも、とらわれる。
しかし、すぐ『時間は伸び縮みする。ぎゅっと集中して凄く進むときと、立ち止まって考えるときと、いろいろあるから、一概に、出来ないとは言えない。気を強く持てば、やれる、やれる』と気を取り直し、そのあとまた絶望感に襲われ、また楽観的になるという山と谷を繰り返しながら、とにかく作業していく。
▼そして夜がおとずれ、朝が来て、約束の5月31日金曜の午前11時半ごろになり、バイク便の会社から電話が来た。
まだ終わっていない。ぎゃあ。
と思ったら、バイク便の会社のひとが「前の荷物が遅れて、そちらへの到着がすこし遅くなります」。
あー、天の助けだ。
このどたばたの挙げ句、5月31日の午後早くに、とにもかくにも赤を入れた初校は、出版社の手に渡った。
▼ぼくは放心するヒマもなく、すぐシャワーを浴びて羽田空港に向かう。
大阪で、公共事業体の幹部との協議が待っていた。大阪で泊まる。
翌5月31日土曜は、朝早くにホテルを出て、関西テレビへ。
情報番組「ぶったま」の「ニュース二十面相」コーナーに参加(生出演)する。
番組が終わると、すぐに伊丹空港から帰京。
急ぎのメールなどを大量に処理しつつ、夕刻、散髪屋さんに行く。いつどうやって髪を切ってもらったのか、まったく分からないほど最初から寝こけていた。
帰宅してから、脳みそに栄養を送りたくて、オールナイトの映画を近所へ見に行く。死と生の問題をあつかった『Bucket List』(邦題・最高の人生の見つけ方)。
ジャック・ニコルソンをはじめ怪優たちの演技は素晴らしかったけど、映画としてはまぁまぁかな。
翌6月1日の日曜は、首都圏で放送されている人気番組「サンデー・スクランブル」(テレビ朝日)に参加(生出演)し、四川大地震への自衛隊機派遣の見送りについて話す。
帰宅後、またすぐに溜まっている急ぎのメールを処理し、自宅近くのジムへ。
バーベルやダンベルを重く感じる。トレーナー(まだ21歳の女性だけど、しっかり信念があるトレーナー)の励ましのおかげで、ようやく、いつものメニューをこなす。
こうやって過ごしながら、頭は実は、新刊書のことでいっぱい。
赤入れが、あまりにも不充分だ。
そこで思い切って、出版社の編集者(この人も若い女性だけど、きちんと信念がある)にメールを送り、最後の最後に、数時間でも、もう一度、内容を確認する時間がないだろうかと相談した。
彼女はすぐに返事をくれた。
「明日の月曜は東京にいますか。いらっしゃるのなら、最終校のゲラを送ります。そして午後7時までに必ず返してください。それで終わり、もう二度と延長はありません」という趣旨の返事をくれた。
ぼくは勇気百倍、その確認に向けて、精神の統一を始めた。それから明日の月曜に、すこしでもゲラ最終直しの時間がとれるよう、独研社長としての仕事を加速させた。
月曜は午後、東京にいなくなるけど、夕刻に東京に帰ってくる。
その往復の車中でゲラ直しができるぞっ。
実はこの日曜日には、生まれて初めて座禅をするために、都内のお寺を訪ねることになっていたのだけど、それはお寺に恐縮しつつ延期した。
▼そして、運命の(おおげさながら)6月2日月曜となった。
奇しくも、亡き父の命日だ。
前述したように、午前中は外務省や海上保安庁での仕事で終わった。
昼の12時40分に車に乗り込み、揺れる車の中で、最終校のゲラ直しを始めた。
ほんとうは、車の中では頭をゆっくりと遊ばせたい。
その気持ちを一番知っているのは、隣に付いている秘書さんだ。
車は、雨の中を1時間半ほど東名高速などを疾走して、東富士の研修所に着いた。
いろんな企業から集まっている受講者は、ゲラも何も関係ないのだから、全身全霊で講義する。
この講演も1時間20分しかなく、伝えるべきを伝えきれなくて、すこし延長して話し、そしてやっぱり硫黄島の話ができなかったから、「有志で再び集まりましょう。その場で無償で話をさせていただきます」と約束して、車に飛び乗る。
外に降りしきる雨も記憶にないほど、再び1時間半ほどの車中でゲラ直しに集中し、車は午後6時半ごろに出版社に着いた。
まだ最後のページに到達していない。
この最終校のゲラは、最初の直しによってページがかなり増え、230ページを超えている。
編集者に無理にお願いして、出版社の一隅をお借りし、作業を続け、午後8時半ごろ、一応は最後のページに達した。
ぼくとしては、まだまだ推敲が不充分だけど、もはやこれまで、これ以上みなさんを待たせるわけにいかないと、編集者に最敬礼して、最終校のゲラを渡した。
▼これで新刊書という列車は、発車です。
そして、この発車は、ぼくの作家としての再生の始まりの発車です。
このあと、いろいろな出版社とのまだ果たせていない約束を果たして、ノンフィクションも、そして文学も、新しい作品を必ず、世に問うていきます。
▼そして、みなさん。
新刊のタイトル、発売予定日、予定価格をお伝えします。
日中の興亡
Japan and China to Rise or Fall
発売日:6月20日(※おおむね、この2日後に書店店頭に並びます)
予価:本体1500円(税込1575円)
出版元:PHP研究所
表紙のデザインも、今回はぼくが初めて原案をつくり、デザイナーにアジャストしていただきました。
書店では既に予約を受けつけています。もしも、よろしければどうぞ。
機会があれば、魂を込めて、つたないサインをさせていただきます。
このコメント時点ではアマゾンではまだリストされていないようですが、
その他の青山さんの著作もすべて口コミ評価が高いですね。
及ばずならが、乗車させてもらいます。
゜+.\(*゜ヮ゜)人(≧▽≦)人(*´∀`)ノ゜.:。+゜
新刊楽しみにしてます!
お疲れ様でした!
その後まもなく、この最新「投稿」に、私などの想像を遥かに超える猛烈な勢いで驀進される青山さんのエネルギッシュなお姿を垣間見させていただき、一安心いたしました。
まずはなにより「新刊書」列車の発車、おめでとうございます。
先月末、書店で予約した際に「タイトル」を知って以来、上梓の日が待ち遠しくてなりませんでした。
以前の「投稿」で「タイトル」が決まるまでの経緯や青山さんのお気持ちなどを存じていましたので、今回、ご自身による「タイトル」紹介を拝読でき、まるで我がことのように嬉しいです。「日本国民が決断する日」も取寄せ中です(本当は「平成」も拝読したいのですが、取寄せが…)。
とは申せ、皆さん同様、青山さんのお体がまだまだ心配です。
が、ご先祖や祖国の英霊にまもられているに違いない青山さんは、これからもその叡智と想像を絶する勢いとスピードで、祖国と世界の為に駆け抜けていかれるんでしょうねぇ。。。最敬礼!
買います。
何をおいても、買って精読させていただきます。
今、本当に考えなきゃいけないことをちゃんと考えるためにも 読みます。 待っていました。 激務の中、お疲れ様でした。
ゲラ戻しまでの、あまりに臨場感あふれる
カウントダウンの模様に、失礼ながら思わず
大声で笑ってしまいました。
ともかく、どんな思いで青山さんが本を世に
出されたのかも含めて、いち読者として真摯に
受け止めさせていただきたいと思います。
HAYABUSA2さんが以前に日朝国交正常化推進
議連推測リストを挙げてくださったものも
含め、時間のあるときにちょこちょこと
地味に調べております…。
手始めに朝鮮半島問題研究会の所属議員から、
自見庄三郎氏(国民新党)→確定
北九州事務所に確認済み。
鉢呂吉雄氏(民主党)→不参加
事務所の政策担当者の方によると、確かに
朝鮮半島問題研究会に以前は参加していたが、国交正常化議連には多忙を理由に不参加との
ことでした。
今野東氏(民主党)→不参加
事務所の方によると、党内の勉強会には参加
しているが、国交正常化議連には不参加との
ことです。理由をお尋ねしても不明とのこと。
中村哲治氏(民主党)→不参加
事務所の方によると国交正常化議連には参加
していないとのことでした。理由不明。
国交正常化議員連盟に所属していないからと
言って、潜在的北シンパかどうか本当のところ
はわからないのかもしれませんが、
青山さんが本日のAnchorでおっしゃった
ように、電話で応対してくださったどの事務所
の方も、この問題に対して敏感になっていた
ように思います。「やっぱり議連に入らない
ほうがいいんでしょうかねぇ」なんて
言われましたし。
あと折り返し電話しますと言ったままの
石井一氏の事務局は別として、まだまだ
確認すべき議員はたくさんいますし、
近未来政治研究会とかいうチーム山拓に所属
する議員もたくさんいるようで、どなたか
ご一緒に分担して調べてみませんか?
ただ、青山さんのブログコメント欄に、
このように細切れに書き込みさせていただく
のは心苦しいですし、情報共有の面からも
厳しいものがありますので、その点ご迷惑が
かからないように致す所存です…。
新刊買わせていただきます。
良い著者+良い出版社の組み合わせでお金の使い道として申し分ありません。
暇を見てブログなりなんなりで日本人が日本人として読んでおくべき名著なども思いつく限り紹介して頂けると後に続く若者達にとって良い道標となるかと思いますのでご検討下さい。
体と謀略には気をつけてこれからも適度に頑張って下さい。