▼みなさん、いま入院中の病室にいます。
夜明け前です。
午前4時半から5時にかけての東京は、いちばん静かなひとときです。
入院と言っても、きのう入院して、あすには退院します。2泊3日の短期入院です。
▼ぼくは去年の2月17日木曜に、大腸癌の開腹手術を、この大病院で受けました。
癌そのものは、その後の詳細な病理検査で「Ⅰ期の、その前だった」ということが分かりました。ごくごく初期です。問題なく完治しました。
しかし開腹手術は、おそらく大事をとってのことでしょう、かなり広範囲に大腸を切除する、長時間の手術でした。
術後に麻酔が切れたあとは、凄絶な痛みに苦しみ抜きました。
ぼくは、ありのままに申して我慢強いほうで、痛みもふだんは良く耐えるほうだと思いますが、この時は、ほんとうに長い時間、苦しみに苦しみ抜きました。
それでも、術後わずか5日目には、病院から都内の講演会場へ、自分で独研の社有車を運転していき、ふだん通りに講演し、翌日の2011年2月23日水曜、すなわち術後6日目には関西テレビの東京支社へ、やはり病院から出向きました。
その関テレ東京支社の一室と、良心派の報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」の生放送のスタジオ(大阪)とを繋いで、番組にナマ参加(出演)したのでした。
そして術後7日目には退院して、この日も、そのまま都内で講演しました。
もちろん無茶な話です。
だけども、講演の約束はどうしても破りたくなかった。
「アンカー」は前週の水曜が入院日で、この日は術前検査もてんこ盛り、さすがに番組に参加(出演)できなかったから、2週連続の不在は、視聴者やスタッフのことを考えると、どうしてもしたくなかった。
そもそも、この手術自体、講演の約束を破りたくないがために遅れに遅らせた手術だったのです。
その間に転移を起こさなかったのは、たまたま癌がごく初期だったからの幸運で、手術を延期している間はまだ、癌が初期だということも分かっていませんでした。
だから、胸のうちではひとり、『こうやって約束を果たしているうちに、癌が大腸から肺や肝臓に転移するかもしれないな。それで死ぬのかな』とも考えていました。
今だから言える話です。
当時は、青山千春博士も含めて誰にも言いませんでした。
ウルトラ過密の日程を縫って、ようやく手術できたのは、海外での講演予定ひとつだけを延期したからです。
オランダのロッテルダムの日本人学校に、志のある方がおられて、ぼくの講演を願われ、その志に応えようとオランダ行きを予定していましたから、そのための日程がとってあったのです。
海外出張だから、数日間がとってあった、この日程を活かすほかに、ありませんでした。
あくまで延期でしたが、その後に、この方が帰国され、実質的に中止となってしまったのは心残りです。
同時に、講演の延期を受け入れてくださった、この方と、その方と一緒に講演の準備をしてくださった、まだ見ぬかたがたに、深く感謝しています。
▼さて、今回は、大腸にポリープが見つかり、それを内視鏡でとるための入院です。
医師団は、「癌ではない」と明言しています。
本来は、病理検査を完了しないと断言はできないのですが、現段階で「癌でないことは、はっきりしている。放置すると、癌化することがないとは言い切れないから、早期のうちに切除します」という医師団の説明でした。
きのう9月14日金曜の午前に入院し、昼ごろには、もう施術が無事、終わりました。
開腹手術ではなく、内視鏡での施術だから、術後の痛みもありません。
点滴で栄養や止血剤などを体内に入れながら、明日の退院に備えているだけです。
施術のとき、ドクターがぼくの腕に注射針を刺しながら、「え? 腕がこんなに太いの? 青山さんは何のスポーツをやってたんですか」と聞かれました。
へぇ、1週間に1度あるかないか、それもたった45分ほどのトレーニングなのに、日程の隙間を縫って筋トレをしていることはしているけど、ドクターが気づくほどの効果があるんだ、と思いつつ、聞かれたのは今ではなく昔のことだから、思わず「…スキーとか」と答えました。
ドクターはたいへん納得されたけど、せんせい、スキーで普通つくれるのは上半身より下半身です。
脚力などは確かにあるけど、上半身を作ったことはなくて、それで今ほんのすこしだけ鍛錬しています。…続けてみるもんですね。
以前に、水道橋博士に「何かやってますね」とテレビ局で言われ、その水道橋博士こそしっかりトレーニングしている本格派なので、内心ですこし嬉しかったけど、昨日は人間の身体をみるプロの、ドクターだもんね。もうちょい、うれぴ。
▼世間は、今日から3連休ですね。
そのさなかに、中東でも国内でも動きが激しい。
だから連休前に、独研(独立総合研究所)が会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)をどうしても出しておきたかった。
そこで昨日、施術のための強制睡眠から、まだ充分には目が醒めていない段階で全身ふらふらながら、ベッドの上で、中東と、国内政局に関するそれぞれのレポート、計2本を仕上げ、メールで独研に送り、独研の総務部から会員へ配信しました。
正直、苦しかったけど、ほんとうは意志の弱いぼくが、どうにか責任を遂行したので、ちょっとホッとした。
夜、病室に、独研・総務部・秘書室第二課(社長同行担当)の若いYO秘書が、急ぎの荷物を届けてくれて、ぼくの元気な顔を見て、帰っていきました。彼女も、連休前に会員へレポートが届いたことを喜んでいました。
ぼくはほんとうは意志が弱いって、謙遜じゃないんですよ。ふひ。
▼去年2月の大腸癌手術のあとは、凄まじい腸閉塞に襲われて、癌ではなく、その腸閉塞のために死に直面しました。
兵庫県・尼崎市での講演の当日、お腹の激痛と、形容を絶するほど苦しい嘔吐で、自宅近くの開業医に診てもらうと「このまま講演に行くと、舞台の上で小腸から破裂が始まり、死にます」と断言されました。
この開業医は、ぼくが重症肺炎となり肺の半分が真っ白な状態で講演に行こうとしたとき、「聴衆にうつす心配は無い。だけどね、青山さん、あなたは死にますよ」と言いつつ、最後には理解してくれて応急措置をしてくださり、講演に送り出してくれたひとです。
「青山さん、今度こそ、ほんとうに死ぬんだよ。重症肺炎のときより、ずっと、ずっと死にかけてる」と、ぼくの眼を覗き込んでおっしゃり、「それでも行くんですか」と聞かれました。
ぼくが「行きます。約束ですから」と答えると、そのあと点滴を4回、行ってくれて、ぼくは東京から尼崎へ向かいました。
尼崎市の講演会場に着くと、長蛇の列ができていて、あぁ来てよかった、みなさんを裏切らないでよかったと、思いました。
これが2011年3月7日月曜のことです。
尼崎の講演を無事に終わり、帰京する新幹線の車中では、車掌さんに断ったうえでトイレに籠もって4時間、嘔吐し続け、品川駅にようやく着くと、救急車を呼んで消防に迷惑をかけたくなかったからタクシーで、この大病院に、再入院しました。
著名な専門医である主治医は、ぼくを一瞬、診察しただけで両手をあげ、同行していた青山千春博士に「これで、ほんとうに講演したのですか」と聞かれました。
それでも、あっという間に恢復していき、入院中のまま兵庫県姫路市での講演を果たすために、新幹線に乗りました。
それが、運命の3月11日です。
新幹線が静岡の安倍川を渡る途中で止まり、やがて、東日本大震災の発生を知ったのでした。
そして、それから1か月あまりあとの4月22日には、福島第一原発の構内に、原子力災害の発生後、作業員以外では初めて入ることになるのです。
この病室に居ると、それやこれやが蘇ります。
この1年半で、ぼくがいちばん知ったのは、福島第一原発の作業員のかたがたと吉田昌郎所長(当時)をはじめとする、日本国民の勇気です。
みなの献身が、福島第一原発と、広大な被災地に、永遠に刻まれています。
さぁ、東京の夜が明けていきます。
写真は、病室からの、その夜明けです。
▼大切なお知らせをひとつ、忘れていました。
いま、毎週木曜日にレギュラー参加(出演)しているラジオ番組「ザ・ボイス」(ニッポン放送)のトークショーに来てください。
以下は、ニッポン放送のお知らせの転記です。
《ザ・ボイス そこまで言うか! トークショー》
ニッポン放送の飯田浩司アナと青山繁晴・独立総合研究所社長のトークショーが行われます。
*日時 9月21日(金)13時~
*場所 新宿タカシマヤ 11階
*参加無料
*「ぼくらの祖国」(扶桑社)、「救国超経済外交のススメ」(PHP)、赤本・青本の兄弟本のサイン会も行われます
*問い合わせ ニッポン放送《サ・ボイス》
「うまいもん祭り」という催しと共催ですから、おいしいものも食べられますよ。
握手しましょう。希望のかたには、男女を問わずしっかりハグします。そして一緒に考えましょう。
▼ぼくは、あす9月16日の日曜に退院すると、そのままお台場に向かい、独研が自主開催している「独立講演会」で講演します。
5時間前後、立ちっぱなしで講演するのが、独立講演会です。
問題ありません。
お聴きになるかたは、できるだけ睡眠や休息をとってお出でくださいね。あ、聴衆の方はもちろん着席ですよ。
この独立講演会のあとには、聴衆の多くのかたが「時間が短かった」とおっしゃいます。ふひ。
翌17日の月曜は、富山に向かいます。
日本青年会議所の富山ブロック協議会の主催によって、エネルギーをめぐるパネルディスカッションが「名鉄トヤマホテル」で開かれます。
そこで基調講演をし、ディスカッションにも参加します。
そして18日火曜は、大阪に入って、近畿大学経済学部での後期の講義(国際関係論)を開始します。
その翌日19日水曜は、「スーパー・ニュース・アンカー」ですね。
下手くそなりに、どうにか発信を続け、日本国の唯一の主人公にして最終責任者の国民ひとりひとりに、もはや右でも左でもなく、まっすぐ真ん中から、祖国とアジアと世界を考えていただく、ちいさな助けになりたい。
そのための、淡々たる日々です。
深く、淡く、生きて死にます。
死生観こそ、根っこです。
この大病院のすべての病室で、手術室で、検査室で、戦っているひとびとがいらっしゃいます。
患者にも、付き添い家族にも、ドクターにも、ナースにも、技師にも、お掃除スタッフにも、食事スタッフにも、事務スタッフにも、すべての命に、幸あれ。
おのれをめぐる願いは、ただひとつ。報いはなく、天命だけがあり、最後のゴールはただ、名誉ある死だけでありますように。
(いささかの多忙のために予定より遅れていますが、この地味ブログは、移転します)