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ゆけ、松葉マン

2007年09月25日 | Weblog



▼9月24日月曜の夜になって、右足はさらに腫れ、痛みもいくぶん強まった。
 終日、氷を代えて、代えて、冷やしていたのに、これはおかしいなと、患部を指で、痛んでも丁寧に確認しているうち、こりゃ骨折だと確信した。

 大学時代にアルペン競技スキーに打ち込んで、骨折を4回経験しているけど、こんな足の甲の部分は、固い競技用スキー靴に完全に護られているから、折れるという発想がなかった。

 まいったな。
 25日は、朝9時に自宅を出て、大阪へ向かい、敬愛するフェアな財界人と久しぶりにお会いして昼食をともにし、そこから近畿大学へ向かって、経済学部で2コマ、3時間の講義、夜に関西テレビの報道局と打ち合わせをして、大阪に泊まり、26日の水曜に、関西テレビの報道番組「アンカー」に生出演の予定になっている。

 しかし、さすがに骨折となると、受傷から3日も4日も放っておけば、足が変形することにもなりかねない。
 すぐに独立総合研究所(独研)の秘書室に連絡をとって、事態を把握してもらい、25日火曜の夜明けを迎えた。

 夜明けとともに、『昼食会だけは延期せざるを得ないな。近大の講義とアンカーはそのまま遂行するぞ』と、こころに決め、朝7時を回るのを待って、秘書室に連絡、病院の手配をお願いした。


▼25日午前に、病院で診察を受けると、やはり骨折、それもレントゲン写真をみると、なんともはや、右足の指の1本がバックリというほかないほど、甲の下で、大きく折れている。

 せいぜい、亀裂骨折、つまり骨にひびが入る骨折だろうと思っていたから、すこし驚いた。
 これは、痛いわけだなぁ。
 ドクターは、「足の甲は、5本の指から、そのまま細い骨が甲の下に伸びていますから、折れやすいんですよ」。
 なるほどなぁ。…感心してる場合じゃない。

 ドクターがまず、足の甲に麻酔の注射を打つのだが、これが、ずいぶんと痛い。しかも、けっこう長く針を刺して、かなり大量の麻酔薬を入れているから時間がかかる。
 ぼくは、かなり我慢強いほうではあるのだけれど、思わず声が出そうになって、歯を食いしばった。

 やがて麻酔が効いてきて、久しぶりに足の痛みから解放されて、いい気分になっていたら、療法士が2人やってきて、足を固定具で締めるまえに、折れた骨を伸ばす作業に入った。
「麻酔はしてあっても、痛みますから、我慢してください」と、しきりに言う。
 大学時代の記憶から、覚悟はしていたけど、療法士の1人が右足にのしかかるようにして押さえているし、もう1人は、しきりに自分自身に気合いを入れている気配だ。

 うーむ、これは来そうだなと思ったら、たしかに、凄かったです。
 情報源を吐けと、拷問されるなら、こんな感じでしょう。もっとも吐きませんが。
 ふひ。

 若い療法士は、「すみません、時間がかかるんです、まだ我慢してください」と力んだ声で言いながら、折れて、割れて、下へさがってしまった骨を持ち上げて、元の位置に戻そうと苦心している気配だ。

 目がくらむように痛いが、なんとなく信頼できる感じで、声は低いうなり声ぐらいで止められた。

 そして、ようやく固定具を包帯で巻きあげる作業に移って、やれやれ。拷問、終了。


▼しかし終わると、次の深刻な問題が出てきた。
 ドクターも療法士も、「明日の朝に、もう一度レントゲンを撮って、正しく固定されつつあるかどうかを、確かめなきゃいけない」と言う。

 今夜は、大阪に泊まりなんです。
 それをやめて、きょう日帰りで講義をして、東京に帰り、明日また日帰りで関テレに出て、東京に帰るぅ?

 明日の朝の診察を受けるためには、それしかないけど、そもそも疲労で身体が凍りつくように体温が下がって、慌てて走って帰ろうとして、段差で転倒したんだから、そりゃ、きついよ。
 それに、この足で移動の時間と回数が倍になるのも、きつい。

 近大の講義さえ休講にすれば、楽になる。
 その誘惑が、ぼくにも、ぼくを囲む秘書ふたりにも、浮かぶ。
 しかし、楽しみにしてくれる学生もいることを考えるし、それに、1年分の講義を後期だけに詰め込んでいるから、休講すると、あとに響く。

 よし、日帰り。行ったり来たりの人間シャトル、と決めて、タクシーで空港へ向かう。


▼羽田空港に着いて、タクシーから松葉杖で歩き出したら、もう好奇の眼がどっと集まる。
 これなんだよねぇ、いちばん嫌なのは。、

 アメリカとヨーロッパ諸国だと、松葉杖や車いすのひとの周りには、むしろ暖かい空気が流れて、みんなが、さぁ助けようとスタンバイする感じなのだが、日本では、間違いなく好奇の眼が圧倒的に多い。

 ぼくの学生時代も、そうだった。スキーの試合で怪我をして、松葉杖で帰京しようとすると、急に、ありありと好奇の眼でみられる。
 きょう実感したのは、それが変わらないだけではなく、松葉杖で歩いている人間に対しても、多くの人が道を譲らず、ほとんど平気でぶつかってくる。

 いじわるな国だなぁ、日本は。
 かつて特派員としてペルーにいたとき、首都リマのオープン・カフェで、中南米が専門の先輩記者と気持ちのよい風に吹かれていると、先輩が「青ちゃん、要は日本はいじわるな国なんだよ。ちょっと頭を出すと、すぐ嫉妬するし、弱い者にはエバって、強い者にはヘコヘコするよね。いくらペルーが貧しくて、いまテロ事件の真っ最中でもさ、ラテン世界にいるとホッとするんだよ」と言った。

 その先輩記者の顔を、こうしたことがあるたび、思い出す。
 ぼくは、しっかりと愛国者だけれど、ときどき、どこを愛そうか迷うことがある。


▼それでも、何とか機中のひととなり、さぁ、いざ大阪へ。
 学生諸君に、先週の第1回講義で、いっしょに頑張ろう、頑張って根っこから考えよう、この祖国に国際社会のなかでフェアな主権を回復するために、と言った以上、いきなり第2週が休講ではね、みんなの志気に影響する。

 だから、いくぞ、松葉杖で身体を前へ、前へ飛ぶように、送り出して。


(伊丹空港からのタクシー車内から、発信)