耐えるとは、なんのために耐えるのだろうか。
あんまり謎かけのようなことを、個人的な呟きのこのブログであっても、書いてはいけないよなぁと思いつつ。
ぼくは、なんのために耐え、みなさんも、なんのために耐えるのでしょうか。
暮夜にひとり、そう思わずにはいられない。
この世でそれぞれに耐え続ける同時代人にも思いを馳せて、こう書かずにはいられない。
「あったかいお茶をゆっくり飲む」
二十歳のひとの書き込みに、なるほどなぁ、いい考えだなぁと、こころから想う。
実際に効果もきっとあるでしょう。
こういうことを、さらり書ける二十歳がいる。
ぼく個人のことよりも、それは、わたしたちの二千年国家の希望に、きっとなる。
「汝ら、その狭き門より入れ(いれ)」
このイエスの言葉の意味を、ぼくと一緒にあらためて考えてくれる、たいせつな友だちもいる。
思わぬ病と戦いつつ、そうやって考えてくれる友だち、あなたのもとにこそ、愛がある。