耐えるとは、なんのために耐えるのだろうか。
あんまり謎かけのようなことを、個人的な呟きのこのブログであっても、書いてはいけないよなぁと思いつつ。
ぼくは、なんのために耐え、みなさんも、なんのために耐えるのでしょうか。
暮夜にひとり、そう思わずにはいられない。
この世でそれぞれに耐え続ける同時代人にも思いを馳せて、こう書かずにはいられない。
「あったかいお茶をゆっくり飲む」
二十歳のひとの書き込みに、なるほどなぁ、いい考えだなぁと、こころから想う。
実際に効果もきっとあるでしょう。
こういうことを、さらり書ける二十歳がいる。
ぼく個人のことよりも、それは、わたしたちの二千年国家の希望に、きっとなる。
「汝ら、その狭き門より入れ(いれ)」
このイエスの言葉の意味を、ぼくと一緒にあらためて考えてくれる、たいせつな友だちもいる。
思わぬ病と戦いつつ、そうやって考えてくれる友だち、あなたのもとにこそ、愛がある。
今も耐えることは沢山ありますが、愛する人がいるから、そして「もしかしたら」という希望をすてないから耐えるのかもしれません。
私の子供は平和を願う意味を込めた名前がついています。自分の子供だけでなく全ての子供が平和な世の中で生きて欲しいから、これからも私が出来ることを一つずつしていこうと思います。 少なくとも青山さんのコーナーやブログ、本が私の生活の活力源です。仕事の昼休みに読んで元気を頂いています。本当にありがとうございます。
お体だけでなく自分自身も大切にしてください。それを願っています。
私も「なぜ耐えながら生きなければならないのか、この苦しみに意味はあるのか?」と長く考え込む時代がありました。環境や責任を放棄すればいいだけなのに、その勇気もなかったんです。そんな頃友人が言葉をくれました。「屋根はあるか?ベットは?」「あるよ」「眠れるか?」「疲れてるからね、寝れるよ」「ならよかった」ただそれだけの言葉でしたが涙が止まりませんでした。とても明るい声で、連絡してくる時はいつも元気な様子だったので、彼がチェチェン人で、命を削りながら今も戦い続けている事を私は忘れて、何と言う愚痴をこぼしてしまったのかと情けなくて申し訳なくて、でも何より恥ずかしかったのは、自分には何が出来るのかを考えるより先に、自分は幸せなのだと感じてしまった事でした。その時から自問自答の内容が、耐えなければならないのか?から、耐えているのか?に換わりました。何を書きたいのか?めちゃくちゃな文になってしまいましたので、私もお茶でも頂いてきます。
長文失礼致しました。
世界情勢、さらにはこの日本国の傍観者になってしまった日本人・・・。地球に生きる当事者へと生まれ変わるのはいつの日か。
9.11の悲劇。それですら違うホシの出来事だと考えている人が多いのではないかと思います。
しかし、北朝鮮による拉致、そして竹島、尖閣諸島、ガス田開発などの問題は形は違えど、日本がテロ・戦争の当事者であるということではないでしょうか。
青山さんは・・・、勝手な推測で間違っていたら大変申し訳ありませんが、非常に孤独なのではないかと思います。
ご家族もいらっしゃるし、独研の方々や、意見を同じくしておられる人も多いと思いますが、共に戦う同士の様な方は・・・?
私たちは青山さんに共感して、応援することはできてもなかなか力にはなれません。
やはり言えるのは、いまよりもっとゆっくりしてください、日本のためではなくご自身のために、ですかね。
私事で恐縮ですが、青山さんの百分の一ほどの忙しさで辟易しており、みずからの怠惰な心に自己嫌悪の毎日です。ですから、コメントを差し上げるのも久々になります。
それにしても。と思うのは「生を耐える」という表現は、本当に青山さんらしいですね。いかなる困難に直面しても避けるのではなく、困難に立ち向かい踏ん張っている青山さん。それ故、「耐える」という言葉が出てくるのだろうと推察いたします。
それにひきかえ、自分はなにをやっているんだろうか、と。わたしは学問の世界の扉を開いたばかりの大学院生で、現在処女論文を執筆中なのですが…。自分の論文が完成したとして、何の意味があるのだろうかと疑問をもつことが多々あります。
もちろん学究の徒たるを志した以上、学問の意味や学術研究の意義について思うところはありますが。たとえば、それが拉致被害者の救出に何らも寄与するものではないし。はたして自分の研究は、祖国にとって誰かにとって有意義なことなのだろうか?無意味なことをしているのでは?と考えることもしばしば。
その意味で、わたしは実務家であられる青山さんとは正反対のポジションにいるのではないかと思うことがあります。(わたしなどを青山さんと対置させるなんて、僭越なこと甚だしいのですが、脳内妄想ということでお許し下さい)
だからこそ、わたしは“実務家 青山繁晴”を尊敬すると共に、羨望の目で眺めています。そして、心の底から青山さんを応援したいと思うのです。
長々と自分の愚痴を書いてしまい申し訳ありません。しかし、わたしのような立場の人間から見た、青山さんへの想いが少しでも伝われば、幸いです。
追伸:
以前、お話されていた近畿大学での講義は始まったでしょうか。過去エントリーをみると「9月半ばから」とあったので、そろそろかもしれませんね。更なる身体的負担がかかろうかと思いますが、若い大学生との交流をつうじて、精神的には癒されるはず……と信じて。
二度にわたり「狭き門」のことを書かれていらっしゃるのは、何か思うところがあってなのでしょうか。
私は20代前半に読みましたが、当時の私にとっては純粋ゆえにだれも幸せになれない理解しがたい内容でした。
当時の私は心が貧しかったのでしょうね。青山さんのようには感じることができなかったです。
ところで、安倍首相が辞任されましたね。
今日のアンカーでも他局では聞くことのできない辞任の裏話をお話いただきありがとうございます。
これから政局も不安定になり青山さんもますますお忙しいと思いますが、お体にはどうぞお気をつけください。