前回(→こちら)の続き。
2004年のフレンチ・オープン決勝戦は、ギレルモ・コリアがガストン・ガウディオを圧倒するペースで進行していた。
だれもがコリアの初優勝を信じて疑わなかったが、ゲームはここから少しずつ、軌道が狂いはじめる。
簡単に2セットを取ったあとの第3セット、明らかにギレルモの動きがおかしくなっていたのだ。
強烈だった重いボールが鳴りをひそめ、そのフットワークもいかにもぎこちない。
勝利目前のこの場面で、いったいなにが起こったのか。
ポイントとポイントの間に顔をしかめ、足を押さえる仕草を見て合点がいった。
ケイレンを起こしていたのだ。
スポーツ選手に、ケガやケイレンは付き物である。
1995年USオープン1回戦、対ペトル・コルダ戦の松岡修造選手のように、激烈なケイレンによって大きな試合を勝ちきれず、失意のまま散ってしまった選手は数多い。
アクシデントを自覚した彼は、トレーナーを呼び、インターバルでは自分でもんでみたりもするが、一向によくなる気配はないようだ。
優勝まで秒読みというところで、まさかの罠が待っていた。
ここで不思議だったのが、なぜ彼がケイレンに襲われたのかということだ。
その原因には様々な説があり、極度の疲労、発汗による水分やビタミンなどの欠乏、精神的ストレスなどが主要なものとされているが、実際のところは「よくわからない」らしい。
ギレルモの場合もそうだった。彼もクレーコーターの常で、体力には定評がある。歳もまだ若い。
水分や栄養補給もおこたったようには見えず、そのプレーぶりからメンタルに支障をきたしたとも思えなかった。
それが、なぜケイレンを起こしてしまったのか。理由がわからない。いや、一番困惑したのはギレルモ本人であったろう。
一体、オレはどんなヘマをやらかしたんだ? と。
なぜかはよくわからないにしろ、実際に問題起こってしまったことは仕方がない。
ギレルモはプレーのスピードを落とし、だましだましゲームを進めるが、それでなんとかなるほど、レッドクレーの戦いは甘くない。
第3セットはガストンの逆襲をゆるし、4-6で奪い返される。
ことここへ来て、まともにぶつかっては勝てないと、ギレルモも認めざるを得なかった。
なんと彼は、第4セットを1-6という一方的なスコアで捨ててしまう、という非常手段に出た。
セットは失うが、その間に回復を待つ作戦。そうして、なりふりかまわず、最終セットにすべてを賭けることにしたのだ。
その賭けは、捨て身の策としては、うまくいったようだ。
ファイナルセットでは少し動きにキレが戻り、それまでのような一方的にたたかれるということはなくなった。
それでも、第1、2セットのことを思えば、なぜこうなってしまったのかという展開だが、もはや、アアもコウもない。今できることを、やるしかない。
ギレルモは痛みに耐え、懸命に歯を食いしばりながら、とうとうマッチポイントを手にする。
あとひとつ、あと1ポイントさえ取れば優勝だ。そうなれば、すべての苦痛から解放される。
だが、執念もここまでだった。あとひとつまでこぎ着けながら、最後の1ポイントがどうしても取れない。
それは、ガストンがねばりを見せたというよりも、ギレルモが決めきれなかったのだ。最後の最後で、力が入らない、踏ん張りがきかない。
このときの、痛苦に顔をゆがめながら球を追いかける彼の姿は、痛ましくて見ていられなかった。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
ケイレンはだれにでも起きる。ケガで試合を落とすことなんて、プロスポーツの世界に身を置くなら、よくあることじゃないか。
だけど、なぜそれがここなのか。
世界最高峰の大会であるローラン・ギャロスで、しかもその決勝戦で、相手が完全に格下のガストン・ガウディオで。
2セットアップまでいって、マッチポイントまで取って。
どうして、そこで原因不明のケイレンなんかで、すべてをご破算にしなければならないのか。
そこにあったのは、敗戦の悔しさよりもなによりも、「納得がいかない」という感情であったことだろう。
その後もギレルモには何度もチャンピオンシップ・ポイントがおとずれ、そのたびに会場はわいたが、それらすべては落胆のため息で終わった。
ついに力尽きた彼は、最終セット6-8でガストンの軍門に下った。
マッチポイントを決めたガストンは、思いもしなかったまさかの栄冠によろこびを爆発させたが、彼にはもうしわけないが、敗者の心中を思うと、素直に拍手ができない空気が会場にただよっていた。
それくらいに、目前の栄冠を逃したギレルモの表情は悲壮だった。もちろん、ガストンにはなんの罪もないのだが。
この悔やんでも悔やみきれない敗戦の後、結局ギレルモはグランドスラムのタイトルを獲得することなく、そのキャリアを終えた。
世界ランキング最高3位はすばらしいが、その才能を考えてみれば、満足いく結果とは言い難いのではなかろうか。
まさに、痛恨の一戦といえる結末であったと言えるだろう。
■決勝戦の映像は【→こちら】