「一撃」で決まる将棋は感嘆を呼ぶ。
終盤戦で、まだむずかしそうなところから、アッというパンチが飛び出して、見事に決まる。
これには「ええもん見たなー」という気になるし、なにより私がここで紹介するとき、検討とかしなくていいから楽ですばらしい。
1982年の第32期王将リーグ。
米長邦雄棋王と内藤國雄王位の一戦。
内藤得意の相掛かりに、後手の米長が中央から戦いを挑む。
むかえたこの局面。
内藤が▲69飛と、▲64から引いたところ。
次に▲64歩のねらいがあり、歩切れの後手はそれを受けにくい。
先手は玉がうすいのが気になるも、それは▲93金と角を取れば相当に緩和されるから、なんとかなりそう。
後手からすれば、ここでいい手がないと苦しいが、米長はひそかにねらっていたのだ。
△56角と打つのが、「次の一手」のような一撃。
金取りと△47銀の両ねらいで、これがメチャクチャにきびしいが、先手に適当な受けがない。
しかも、△78角成が飛車取りとなれば、先手の▲69飛をとがめられた形で、後手からすれば痛快この上ないではないか。
これをウッカリしていた内藤は▲68金と寄り、△47銀、▲59玉、△66角に▲48桂とふんばる。
顔面パンチをモロに喰らいながらも、そこでなかなか倒れないのがトップ棋士の強さ。
控室の検討では、これでまだむずかしいと見ていたようだが、次の手がまた好手。
△55銀で、攻めが振りほどけない。
▲56歩は△48角成で詰み。
▲56桂も、△同銀と取られて、やはり▲同歩と取り返せず先手に受けはないのだ。
感想戦で内藤は▲69飛が悪く、▲68飛なら自分がやれると言ったが、米長が言うことには、それには△39角(!)と打つ予定だったと。
んなアホなという手だが、▲同玉に△57角成とすると、角損でも後手が指せるという結論に。
すごい手があったもんだが、米長の剛腕がこれでもかと発揮された将棋であった。
続いて、もうひとつ、1991年の棋王戦。
佐伯昌優八段と中村修七段の一戦。
「師弟対決」となった一局は、両者が早めに5筋をつき合ってから角換わり模様になるという、めずらしい将棋に。
むかえた最終盤。
パッと見えるのは、△77角成、▲同桂、△89飛のような攻めだが、駒を渡すと後手玉も相当怖い形。
だがここで、実にカッコイイ決め手があるのだ。
△88飛が「次の一手」のような絶妙手。
次に、△77角成、▲同桂、△68銀までの詰めろ。
かといって、▲同銀とは取れないし、▲同金も△77角成から△68銀で詰み。
▲69玉も△77角成で左辺に逃げこめず、見事な必至。
ここで佐伯は投了。