マッハパンチ 米長邦雄vs内藤國雄 1982年 王将リーグ 中村修vs佐伯昌優 1991年 棋王戦

2024年10月01日 | 将棋・好手 妙手

 「一撃」で決まる将棋は感嘆を呼ぶ。
 
 終盤戦で、まだむずかしそうなところから、アッというパンチが飛び出して、見事に決まる。
 
 これには「ええもん見たなー」という気になるし、なにより私がここで紹介するとき、検討とかしなくていいからですばらしい。
 
 


 

 1982年の第32期王将リーグ
 
 米長邦雄棋王内藤國雄王位の一戦。
 
 内藤得意の相掛かりに、後手の米長が中央から戦いを挑む。
 
 むかえたこの局面。


 
 


 
 内藤が▲69飛と、▲64から引いたところ。
 
 次に▲64歩のねらいがあり、歩切れの後手はそれを受けにくい。
 
 先手はがうすいのが気になるも、それは▲93金を取れば相当に緩和されるから、なんとかなりそう。
 
 後手からすれば、ここでいい手がないと苦しいが、米長はひそかにねらっていたのだ。
 
 

 

 


 
 
 
 
 △56角と打つのが、「次の一手」のような一撃。
 
 取りと△47銀の両ねらいで、これがメチャクチャにきびしいが、先手に適当な受けがない。
 
 しかも、△78角成飛車取りとなれば、先手の▲69飛をとがめられた形で、後手からすれば痛快この上ないではないか。
 
 これをウッカリしていた内藤は▲68金と寄り、△47銀▲59玉△66角▲48桂とふんばる。
 
 
 
 

 

 顔面パンチをモロに喰らいながらも、そこでなかなか倒れないのがトップ棋士の強さ。

 控室の検討では、これでまだむずかしいと見ていたようだが、次の手がまた好手。

 
 
 

 

 

 △55銀で、攻めが振りほどけない。
 
 ▲56歩△48角成詰み
 
 ▲56桂も、△同銀と取られて、やはり▲同歩と取り返せず先手に受けはないのだ。
 
 感想戦で内藤は▲69飛が悪く、▲68飛なら自分がやれると言ったが、米長が言うことには、それには△39角(!)と打つ予定だったと。
 
 
 
 
 んなアホなという手だが、▲同玉△57角成とすると、角損でも後手が指せるという結論に。

 


 

 すごい手があったもんだが、米長の剛腕がこれでもかと発揮された将棋であった。

 

 


 

 続いて、もうひとつ、1991年の棋王戦。

 佐伯昌優八段中村修七段の一戦。

 「師弟対決」となった一局は、両者が早めにをつき合ってから角換わり模様になるという、めずらしい将棋に。

 むかえた最終盤。

 

 

 

 パッと見えるのは、△77角成▲同桂△89飛のような攻めだが、を渡すと後手玉も相当怖い形。

 だがここで、実にカッコイイ決め手があるのだ。

 

 

 

 

 

 △88飛が「次の一手」のような絶妙手。

 次に、△77角成▲同桂△68銀までの詰めろ

 かといって、▲同銀とは取れないし、▲同金△77角成から△68銀で詰み。

 ▲69玉△77角成で左辺に逃げこめず、見事な必至。

 ここで佐伯は投了

 若き日の中村らしい、さわやかな締めくくりであった。
 
 以上、「一撃」がふたつ。
 
 あー、オレみたいな阿呆でも、一目でわかるって、ステキやなあ。
 
 

 (島朗、米長邦雄、羽生善治の「一撃」はこちら

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