将棋界の若き太陽 中原誠vs大山康晴 1972年 第31期名人戦

2022年04月21日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 昭和将棋界の「分岐点」といえば、中原誠名人が誕生した瞬間であろう。

 「名人」と聞くと、少し前なら羽生善治森内俊之

 藤井聡太五冠からファンになった方には、佐藤天彦豊島将之渡辺明といったイメージだろうが、戦後から昭和中期にかけての将棋界では、圧倒的に大山康晴であった。

 私は世代的に大山の晩年しか見ておらず(引退をかけたドラマの数々はこちらから)、「無敵時代」については本や伝聞でしか知らないが、単純に数字を並べるだけでも、そのすごさは伝わる。

 1953年の第12期名人戦、3度目の挑戦で木村義雄からはじめて名人位を奪取すると、いきなり5連覇で「永世名人」を獲得。

 一度、升田幸三に奪い取られるも、2年ですぐ復位し、そこからは怒涛の13連覇

 その勝ちっぷりも並でなく、升田幸三や山田道美といったライバルをはじめ、加藤一二三二上達也といった並みいる「名人候補」の若手も、鼻息プーで蹴散らし続ける。

 なんといっても、合計18期在位のうち、フルセットまでもつれこんだのが、たったの2回だというのだから、いかに圧倒的だったか、わかろうというものだ。

 当然、他の棋戦でも勝ちまくりで、このころの記録にこんなものまであり、それが、

 

 「タイトル戦50回連続登場」

 

 当時のタイトルはだいだい5個だから(王座と棋王は比較的新しいタイトル戦)、つまりは、この10年間のすべてのタイトル戦が「大山対○○」という皆勤賞。

 すさまじいというか、正直飽きちゃうよなあというか、実際その派手さのないキャラクターと強すぎることで、大山は人気の面では、あまり恵まれなかったそうだ。

 そんな難攻不落の大山名人(王将王位)に、最強の挑戦者が名乗りを上げることとなるのが、1972年の第31期名人戦

 A級2年目で、順位戦8戦全勝という快挙を成し遂げ、初の名人戦に登場することとなったのは、当時24歳の「棋界の太陽」中原誠十段棋聖であった。

 これはよく誤解されるというか、かくいう私自身が思いこんでいたのだが、大山と中原の名人戦は、2人のタイトル戦における初顔合わせではないということ。

 調べてみると2人は、この名人戦までに、何度も大きな勝負を戦っているのだ。

 その内訳は、すでに45局も相まみえており、中原の27勝、大山は18勝

 タイトル戦でも棋聖戦王将戦などで当たっており、中原が5勝に大山は2勝

 これだけ見ると、すでにタイトル戦などでは「定番」のカードであり、さらに言えば戦績から見れば、ハッキリと2人の格付けもできあがっている。

 ズバリ、今では「中原が大山より強い」。

 今で言えば藤井五冠が、渡辺明名人や豊島将之九段といった先輩をコテンパンにして、圧倒的感を醸し出しているのと、似たような状態だろうか。

 ではなぜ、今さらながら名人戦が「頂上決戦」と謳われたのかと問うならば、それはもう名人の権威というのが、今とは比べ物にならないほど大きかったから。

 正直、私の世代(「羽生世代」デビュー時に将棋を知ったくらい)でもピンとこないが、昔の名人というのは、それはそれは偉かったらしい。

 なんといっても、先崎学九段中村太地七段の共著『この名局を見よ! 20世紀編』によると、大山が名人から陥落したとき、

 

 「いさぎよく引退すべし」

 

 なんて一般の週刊誌(!)で、よけいなお世話なことを書かれていたそう。

 また後に、十段(今の竜王)・棋聖王位棋王の「四冠王」になった米長邦雄永世棋聖にも、

 

 「名人を取ってないくせに」

 

 ヤカラを入れる人も多かった。

 今、名人を失冠したから引退しろ、なんていう人はいないだろうし、「名人」と「四冠王」がいれば、素直に後者をすごいと判断するだろう。

 まさに「時代の流れ」というやつだが、この価値観を押さえておくと、過去名人戦を観賞するときに厚みがグッと増してくる感じで、実際中原も『将棋世界』のインタビュー記事である「我が棋士人生」でも、

 


「名人戦での大山先生は別人の強さだった」


 

 大山からすれば、他で少々痛い目に合わされようと、

 

 「なんか最近、調子のっとるか知らんけど、名人を取ってから言えや」

 

 くらいものだが、逆に言えばここを突破されると、今度こそなにを言っても聞き入れられない。

 

 「え? 名人じゃなくなったの? じゃあ、おまえ、もうなんだから、黙ってろよ」

 

 文字通りの「絶対防衛ライン」で、大名人も死に物狂いの秘術をくり出してくることは必定であり、その注目度もピークに達したのである。

 開幕局。先手になった大山の三間飛車に、中原は左美濃で対抗。

 

 

 

 局面は終盤戦。先手が▲25歩から玉頭戦を挑んだところ。

 形勢はいい位置に成桂を作り、先手の金銀が上ずっていることもふくめ、一目後手が指せそうに見える。

 ただ、玉頭にアヤをつけられているのはイヤなところで、飛車も使えていないため、これといった決め手はまだなさそうに見えるが、ここで中原は妙手をくり出すのだ。

 

 

 

 

 

 △96歩と突いたのが、突破口を開く、するどい攻め。

 放置すると△97歩成から食い破られるため、▲同歩しかないが、△98歩と打たれてシビれている。

 

 

 ▲同香△99角が、飛車金両取り。

 ▲同飛には△96飛とぶつけ、飛車交換になれば△57にある成桂▲38をはがせる形だから、先手はねばれない。

 オープニングマッチを制したのは、挑戦者の中原。

 将棋の内容もお見事で(棋譜はこちら)、これを見れば「新名人誕生」と期待が高まるのも当然だろう。

 だが、ことはそう簡単ではなかった。

 ここまで中原は大山相手に常に優位に戦ってきたが、こと「名人戦」の舞台だけは、少しばかり話が違っていたのであり、ここからシリーズは大きくもつれていくのである。


 (続く

 

 


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2 コメント

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Unknown (soborut)
2022-04-23 12:08:01
投稿ありがとうございます。

>>「いさぎよく引退すべし」「名人を取ってないくせに」

今でも同タイプはいますよ。「永世名人はB1から落ちたら引退しろ」「竜王戦・名人戦で負け越してるから大したことない」みたいなのが(笑)。とくに後者は羽生九段にケチつけたい連中が多い印象です。

しっかし本当、余計なお世話、という概念を形にしたような連中ですねえ。
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Unknown (シャロン)
2022-04-23 20:39:39
soborutさん、コメントありがとうございます。

まあ、だれにだってアンチはいますからねえ。

てか私は「伝統」「権威」みたいなのに、なんの興味もないので、こういう意見にまったくピンとこないんですよね。

ぶっちゃけ今のファンなんか、やたら長い2日制のタイトル戦より、アべマトーナメントとかの方が楽しいんじゃないかと思いますし。

私もこれから、増田康宏-伊藤匠戦を観戦します。おもしろい戦いになりそうですねえ。
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