ティム・ヘンマンとアンディー・マレーの使命

2012年07月13日 | テニス
 ウィンブルドン男子決勝を観る。

 アンディー・マレーとロジャー・フェデラーがぶつかることとなったこの決勝は、グランドスラムのファイナル、そして第3シードと第4シードの戦いという好カードという以上に全英国じゅうの、いやさおそらくは世界のテニスファンの大々的な熱い耳目を集める大一番となった。

 いうまでもなかろう、この戦いには76年ぶりの「イギリス人によるウィンブルドン制覇」がかかっていたからだ。

 ここで、テニスにくわしくない人に説明しておくと、ウィンブルドンを擁する大英帝国は、テニスの聖地と呼ばれてきた。

 だが、実際のところイギリスは、その名に似合うほどの実績を近年あげていなかった。いや、それどころか、長らく「テニス不毛の地」とさえ言われていたのだ。

 その証拠に、イギリス人がこの大会の頂点に立ったのは、1936年のフレッド・ペリーが最後であり(女子でも1977年のヴァージニア・ウェードまでさかのぼる)、それ以降は優勝どころか、1938年ヘンリー・オースチン以来決勝にすら進出できない始末。

 そこから長い低迷期に入り、ついこのあいだまでは上位進出どころか、まともなトッププレーヤーも輩出できず、3回戦に勝ち上がれば快挙というくらいの体たらく。

 スポーツのみならず経済などでも、地元がその利を生かせず衰退することに「ウィンブルドン現象」という名前がついたほどの苦戦ぶりなのだ。

 その凋落ぶりの著しさは、テニスファンの間でもジョークのネタになっており、イギリスのブックメーカー(賭け屋)では、「イギリス人がウィンブルドンで優勝する確率」が、

 「宇宙人の乗ったUFOがロンドン上空に出現する確率」

 よりも賭け率がよかった。

 つまりは、

 「地元が勝つよりも、あるかどうかもわからん地球外生命体の存在を信じた方が、よっぽどマシや!」

 というイギリス流の自虐ギャグであり、そうまでバカにされるほどイギリスのテニスは沈みこんでいたのだ。

 そんな中、彗星のごとくあらわれた救世主が、ティム・ヘンマンだった。

 祖父がウィンブルドンで3回戦にも進出したことがあるというテニス一家で育ち、1996年のウィンブルドンでは、フレンチ・オープンのチャンピオンであるエフゲニー・カフェルニコフを、地元の大声援をバックにフルセットで破ってベスト8に進出。

 それまで、イギリスの単なる一若手選手だったヘンマンは、これで一躍スターの階段を駆けあがった。

 オックスフォード出身、いかにも優等生で知的な言動やたたずまい、芝のコートに適したクラシックなスタイルのサービス&ボレーを駆使するなど、英国人が熱狂的に後押しするには充分すぎるくらいの資質は整っていた。

  以後彼は現役時代の間、「悲願のウィンブルドン地元優勝」という国民的期待をにない続けることになる。



 (続く)



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