海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

売れない地方のマンション 中国

2014-10-17 | 写真日記

 

上虞市には年に数回行くので、常宿として使っているホテルがある。このホテルのロビーに展示してある上の画像の模型は数年前から展示してあり、昔も今もこれを見る人もほとんどいないので、どうも売れている気配なし。値段を見ると一番安い物件245㎡で298万元(日本円約5400万円)と上海よりかなり安い。

 

2004年の住宅展示会で(上海)

 

この頃が懐かしい

 

2番目と3番目の写真は2004年に上海で撮影したのだが、この時の会場の熱気はムンムンムレムレ状態だったし夢膨らみ過ぎの時代だった。ある意味、昇り龍の時代だったが、来年はどこまで龍が下りてくるのかなぁ。

☆2004年当時にデジタル一眼レフで撮影したのだが、当時のデジイチはプロのカメラという印象が強く、このような状況で写真を撮るとマスコミと間違われてけっこう怒られた。なので、初代アシスタントと夫婦のふりをして会場に入ったのだ。当時コンデジもそんなに普及してなかったし、スマホなんて無い時代。今こんな場面に遭遇すると、右手にスマホを構えてモニターを覗く人が半分以上いるだろうな。

 

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中国上虞市のカラオケへ

2014-10-15 | 写真日記

日本の歌を熱唱する上海オヤジ

 

二日目は、寧波から紹興市に近い上虞市に行き、その場で試作品を作ってもらう。こういう事が、普通に出来るのが中国の凄いところ。一部手直ししてもらい、その場でオーダー。その後は飯と乾杯で終わると思っていたら、今回は私が嫌いなカラオケが待っていた。

 

 

 

カラオケ店の入口を入ると、化粧の濃い制服を着た二十数人のネーチャンがずらりと並んでお出迎え。チェックのベストを着たニーチャンに連れられ部屋へ入ると、恒例のネーチャン顔見せが始まったが、さすがに中途半端な街だけあってオカチメンコが多い。ここではネーチャンを選ばなければならないルールがあるので、声のデカくない物静かな子を選んだ。聞くと四川省から来た大学生。この子達は、顔見せで指名されない時は、その日は無収入となるので厳しい世界。

私はカラオケをやらないので、指名したネーチャンとサイコロ遊びで、ひたすら生温い青島ビールを飲む。まぁ、こちらではこれも仕事の一つとして、お仕事セットの中に入っているので仕方がない。カラオケから出た後にもう一件呑みに行こうと言われたが、私だけ部屋に戻り爆睡。

中国でカラオケに行くと、ネーチャンがセットで付いてくるシステムが何時から出来たのか知らないが、私が最初に経験したのは1996年の上海だった。その頃は、ディスコとカラオケが両方あるホテルの中だったと記憶している。その時に飲まされた酒は赤ワインだったが、なぜかスプライトで割って飲むのが当たり前だった時代。

☆サイコロ遊びは色々あるのだが、上の画像のゲームはサイコロを五つ使い、三つのサイコロが足して十になった場合、残りの二個の出目で勝敗が決るやつ。負けたら酒を飲むという単純なゲームで、店の売り上げにも貢献出来るというつまらんゲーム。負けが続くと二日酔いコースのドツボが待っている。

 

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出張での飯は、結構辛い。

2014-10-13 | 写真日記

ビールの横には紹興酒が

 

寧波の工場で軽く打ち合わせ後、7人で寧波市内まで行き夕飯。当然の事だが、白酒と紹興酒とビールで乾杯が待っていたが、白酒は丁重にお断りした。地方に行く時は数日前から酒を断ち体調を整えて行くのだが、歳には勝てず最近乾杯が相当きつい。

 

中国式食べ方

画像は隣の席の上海人の皿だが、中国式は皿の上に茶碗を置き、それに料理を自分で取って食べる。そして、残った骨などは下の皿に入れるのが普通。時々下の皿を交換してくれるのだが、上の茶碗はほとんど交換してくれない店がほとんど。下町の店に行くと下の皿も使うが、テーブルの上に食べかすをそのまま放置したり床に落とす人も結構多いので、飯を食い散らかすといった方が分かりやすい。

飯には酒がつきもので、昼も夜も乾杯があり料理の量も15皿から20皿出てくるのが普通。寧波は海に近いので海鮮が豊富な料理は日本人にとっては嬉しいが、こんな食事と酒を3日連続で昼も夜も続けるには体力も必要。そして、食事の後のカラオケも私にとっては相当きついが、こちらではこれも仕事の一部だと思わなければならない。

 

 
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結婚祝いのチョコレート

2014-10-10 | 写真日記

私が持つと似合わないパッケージ

 数日前に同じアパートの住人の結婚式があったようだ。一昨日は新婦のパパから、本日は新郎のパパから結婚祝いをいただく。

 

中にはチョコが二つ

 上海では何度も結婚式に招待された事があるのだが、10年ほど前に昔ながらの風習を新婦側の家で一度だけ経験した事がある。親族一同が式場に行く前に、新郎は相手方の家に車で新婦を迎えに行くのだが、新婦側の家族はドアに鍵をかけ新郎が迎えに来てもすぐに中に招き入れない。つまりちょっと意地悪をして焦らすのだ。数分やり取りがあった後、新郎側は用意して来たいくらかの金を両親に渡しやっと家の中に入れてもらえるという面倒くさいしきたりあり、それは今でも続いているのだ。その後、新婦側の家で軽い祝いの食事と乾杯を終えやっと式場に向かう事に。

 

二人が乗る車のほとんどは外車と相場は決まっている

前世紀の上海での結婚式は今と比べると素朴で二人の為の結婚式だったように思うのだが、今世紀に入り日本のバブル時期を思わせるようなド派手な結婚式も多い。最近の女は理想だけが高い身の程知らずも多く男は持ち家が無いと結婚出来ない風潮があり、結婚したいが金が無いので3年付き合った後に別れてしまった可哀想な男を私は知っている。

ここ数年、中国全体のすべての事が矛盾の絶頂期に達していて、まったく先が読めない。

本日の朝から寧波の工場を数社廻り、帰りは12日か13日の夜に。

 

 

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造花(ホンコンフラワー)

2014-10-06 | 写真日記

ある会社のショールームで

 

造花の事を昔ホンコンフラワーと言っていたが、今は何というのか知らない。でも、私はこれが大嫌い。こんな物を部屋に飾るくらいだったら、元々何も置かない方が良いと思っている。

以前のブログにも書いたが、前世紀末の上海はまだ貧しかった時代だったので、生きた花を売る店も今より少なかったし値段も当時としては高かった。という事で、当時の家庭や会社やホテルには造花が飾られていたのが普通だった。当時の友人曰く、「生きた花はすぐに枯れるのでお金がもったいない」。当時、彼の家のテレビの横にある造花を見ると埃だらけで、更にタバコのヤニで白いユリが全体にヤニ色に変色していたのを思い出す。

上の画像は、あるファッションメーカーのショールームに飾ってあった造花なのだが、よく見るとIKEAのラベルが貼られたまま、ざっくりと花瓶に入っていた。買ったばかりのこの造花には埃はなかったが、それにしてもこのセンスは洋服を作る会社のセンスではないと思いつつ苦笑い。

☆この造花を最初に作ったのは李嘉誠さんという中国人で、今では長江実業グループの会長で世界8位の大富豪。

 

 

 

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