海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

2006年の上海 大名路付近から浦東を 1

2010-10-26 | 遠い記憶 現代のレンズ
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大名路付近から見た2006年の浦東。この大名路付近は、旧共同租界の中にありユダヤのゲットーがあった場所から近い。
今は、ホテルなどが立ち並び昔の面影はほとんどない。
ナチから逃れて来たユダヤ人を日本経由で上海に送り届け、ゲットー(ここ上海では自由居住区)をつくったのは日本政府だったのはあまり知られてない。
当たり前の話だが、当時ドイツと日本は同盟国だった。

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2 コメント

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Unknown (Andy Suzuki)
2010-10-28 21:53:31
ユダヤ人地区の話、初めて知りました。この町には色んなところに日本の残したものがありますよね。歴史を感じる町です。
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今でも残ってます。 (かいはら)
2010-10-28 22:12:05
犬塚惟重という人を検索すると色々と出てきます。
当時、彼の執務室は、上海大厦の14階か15階だったと聞いてます。
このホテルから歩いて15分くらいの場所にゲットーはありました。
今でも、面影は残ってますので一度行って見る事をお勧めします。
色々な人が、この時代の事を論じてますが、今の政治家より一本筋が通った人が昔は多かったように思います。
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