海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

1998年上海の個室カラオケ

2020-11-14 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

1998年 GR-1で

 

1998年、上海での個室カラオケのネーちゃんは全員ロングドレスだった。1996年から2000年まで年に4回ほど作品撮影で上海へ行っていた時期に、地元の遊び人から毎回接待を受けていた時期があった。まずは、円卓を囲んで兄弟が経営している料理屋で十数人集まり乾杯と飯で始まり、次に行くのは必ずカラオケだった。当時の高級カラオケは、客一人に対して必ずネーちゃんを一人選ぶのがルールだった。これが拒否できないのは、彼女達は地方からの出稼人で客のチップで生活しているので、客が付かないと生活できないし田舎に仕送りが出来ないからだ。サービズ業という仕事を理解してない彼女達は、私にとってはウザイ存在だったが中にはそれを理解しているネーちゃんもたまにいた。ひどいバカネーちゃんは、「中国語を理解できないのであんたは面白くない」と平気で言う奴もいた。当時日本語を話せるネーちゃんは一人もいなかったが、客のグラスの酒が少しでも空くと、すぐに酒を注いでくるので鬱陶しい存在だったが、上からそうしろと叩き込まれているので仕方がない。

当時の上海のビールは常温が当たり前で、青島ビールが段ボール箱に入ったまま2ケース個室内に運ばれてくる。当時の遊び人はちょっと甘めのワインが好きで、それをスプライトで割って乾杯が始まるのだが、当たり前だが私だけワインは割らずに飲んでいた。当時の彼らにはワインの味を理解できなかったようだ。

彼らがカラオケで歌う曲は当然中国の歌だが、その次に多いのが日本の歌謡曲。北島三郎や八代亜紀など演歌が中心だが、演歌に疎い私は聞く側にまわるしかなく、指名したネーちゃんとサイコロでゲームをしながら負けると一気飲みを繰り返し時間を潰していた。でも、この時期の上海は日本の高度成長期前のような雰囲気で、見方を変えるととても面白い時代だったな。

☆当時の常時持ち歩きカメラは、リコーのGR-1。このカメラだと誰も警戒しないので、何でも撮れる理想的なカメラだった。


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