昭和41年秋に、京都伏見桃山から移築された
天田愚庵邸と天田愚庵像は
地震の影響がないかのようなたたずまいでした。
漢詩と和歌に優れ、
正岡子規の短歌の先生と称された人が
天田愚庵です。
天田愚庵は1854年(安政元年)~1904年(明治37年)です。
夏目漱石も愚庵の句を一句書いています。
いわき市生涯学習プラザが4月15日より開くとの
いわき市のホームページでしたので、
行きましたら、
再度の余震の影響により、閉館で開館予定はたたないとのことでした。
そこで、
地震によりどうなっているのか気になっていました
松ヶ丘公園前の
正岡子規の短歌における先生と称せられる
いわきが生んだ偉大な漢詩人・和歌の
「天田愚庵」の庵を訪ねてみました。
3月11日・4月11日・4月12日の
大きな地震にもかかわらず、
何でもないかのように存在していました。
安心しました!!
しばらくたたずんでいました!!
天田愚庵とは:
☆1868年(明治元年)、15歳で戊辰戦争に出陣中、
父母妹が行方不明になり以後日本全国20数年探しました。
☆清水次郎長の養子(数年間)になり、
「東海遊侠伝」を書き時次郎長物の種本に。
☆明治26年には西国三十三ヵ所の順礼の旅に出て、
「順礼日記」を表し
明治の奥の細道と称賛されて、
いのししの「なるほど歴史塾」でも
昨年一年かけて、読み終えました。
感動させられる本でした。
で知られたいわきが生んだ偉人の一人です。
「いわき文学碑めぐり」・・・社団法人いわき観光協会発行
P17~P19にも紹介されています。