安倍総理の記者会見(15日午後6時から)での最大の問題点を指摘する。私が昨日のブログの終わりの方でこう述べた部分である。
「なお総理はこの会見でさらっと『いわゆる芦田修正は認めない立場だ』と述べた。この発言はあまりにも唐突だったので、今日のブログでは総理の意図についての論評は避ける」
総理の発言内容について私はうろ覚えで書いたが、発言のすべてを完全に文字化したものをNHKオンラインから入手した。私が問題に感じた総理の発言は以下の文脈の中で使われている。
今回の(安保法制懇の)報告書では二つの異なる考え方を示していただきました。
一つは個別的か集団的かを問わず、自衛のための武力の行使は禁じられていない、また国連の集団安全保障措置への参加といった国際法上合法な活動には憲法上の制約はないとするものです。しかしこれは、これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。私は憲法がこうした活動のすべてを許しているとは考えません。したがってこの考え方、いわゆる芦田修正論は政府として採用できません。自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。
もう一つの考え方は我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方です。生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない。憲法前文そして憲法13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じられていない。そのための必要最小限度の武力の行使は許容される。こうした従来の政府の基本的立場を踏まえた考え方です。
この文脈の中で「いわゆる芦田修正論は政府として採用できません」と、総理は明言した。このことが何を意味するか。
結論を先に言う。「日本政府は現行憲法を認めていない」ということを総理が明言したことになるのだ。これは絶対に「失言」などとの言い逃れができない発言である。さらに総理は禁句であった「武力の行使」も許容されるとした。従来の政府の基本的立場は「実力の行使」である。憲法9条が「戦力の保持」を認めていないため、事実上の軍隊である自衛隊についても、従来の政府は自衛隊の軍事力も「実力」という苦しい表現で憲法との整合性を何とかつくろってきた。それをも総理は公然と否定したことになる。何をもって「従来の政府の基本的立場を踏まえた考え方」と言えるのか。
私がそう言える根拠を示す。もういまの人は現行憲法制定の過程すらほとんど知らないであろう。私がここでいう「いまの人」とは一般人だけでなく政治家や政治ジャーナリストも含めてである。私は16日帰宅後、NHKなど放送局や各新聞社の視聴者・読者窓口に電話をして聞いたが、ほとんどの方は安倍総理の記者会見を(録画も含めて)見たというが、「芦田修正論」発言についてはまったく覚えていない人が大半だった。「そういえば、そんなことを言っていた記憶はおぼろげながらありますが、何か問題があるのでしょうか」と疑問をぶつけてきた人が一人だけいた。
実は「芦田修正論」というのは憲法9条を正確に理解するうえで根幹をなす要素である。私が『日本は危ない』(コスモの本)を上梓したのは1992年7月。今から22年も前である。その本の帯には「世界の枠組みが変わった今。日米安保体制が崩壊する!? 日本はどうやって自らを守るのか」とある。
その本の趣旨は、これまでアメリカの核の傘で守られてきた「日本の平和」神話が、いつ崩壊しないとも限らない。アメリカが日本を完全に見捨てることはないにしても、自国の国益に反する日本の有事に対しては、日本防衛の「義務」を果たさない可能性があることをすでに示唆していた。そして憲法9条が日本の平和と安全に寄与するどころか、反対に足かせになる可能性も指摘した。いま安倍総理は憲法9条が日本の平和と安全にとって、足かせになっていると感じている。が、日本国憲法は硬性憲法と言われており、改正は容易ではない。ようやく改正手続きの第一歩とも言える改正国民投票法案を成立させたが、憲法論議は遅々として進まない。
そのため総理は憲法改正を先送りして、憲法解釈の変更によって自衛隊の海外派兵を可能にしようとしている。そもそもは集団的自衛権の従来の政府解釈そのものが間違っているのだが、その間違った解釈をさらに間違った方向に解釈変更し、そのうえで憲法解釈によって間違いに間違いを重ねた集団的自衛権行使を行えるようにしようとしているのだが、それだけでは足りずに憲法9条そのものを全面的に否定する公的発言をしたのが15日の記者会見における「いわゆる芦田修正論は政府として採用できません」だった。が、いわゆる「芦田修正」はすでに憲法制定の最終段階で憲法に盛り込まれており、憲法9条が自衛のための手段や行使まで禁じているわけではないという「歯止め」をかけた重要な個所である。芦田修正が9条に盛り込まれていなかったら、砂川事件の最高裁判決の結果も大きく変わっていた。が、芦田修正によって自衛隊が自国の防衛のためにしか実力を行使出来ないという「一国平和主義」の理論的根拠になっており、安倍総理としては、誤りに誤りを重ねた「集団的自衛権」解釈に基づいて憲法解釈を変更しようとしても、その前に「芦田修正」が立ち塞がっているという現実にようやく気付いたのが、「いわゆる芦田修正論は政府として採用できない」という発言の意図であった。
そろそろもったいぶった「前座の解説」は終わりにして本論に入る。憲法9条の根幹をなす部分は1945年7月26日に発表された「ポツダム宣言」に盛り込まれていた。「ポツダム宣言=無条件降伏」と理解している人が大半だが、それだけではなく日本の戦後処理も含めて日本への制裁内容が細かく定められていた。憲法9条に関する制裁要件としては「日本軍の武装解除と再軍備の防止を示唆する条項」が含まれていたのである。日本政府による「大日本帝国憲法」の改定作業はポツダム宣言を起点にして日本政府とGHQ(連合国軍最高司令部)との共同作業としてはじめられた。「共同作業」と言っても、GHQは日本を施政下に置いた組織、日本政府は占領され主権を喪失した国の「政府」。相当程度GHQの意向が現行憲法に反映されたであろうことは疑いの余地がない。
日本政府は出来るだけGHQの干渉を避けようと、敗戦直後には大日本帝国憲法の改正に着手し、「軍事行動には帝国議会の承認を必要とする」と、天皇の統帥権を利用した軍部の独走を防ぐための条項を盛り込むことで済まそうと考えていた。が、当然この憲法改正案(1946年2月8日にGHQに提出された)はGHQから突き返された。そしてGHQが日本政府に突き付けたのがいわゆる「マッカーサー三原則(マッカーサー・ノートとも言われる)」の二つ目の原則に基づく憲法原案だった。その内容はこうである。
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
このマッカーサー第二原則に噛み付いたのがGHQで民政局長(憲法草案起草の責任者)のホイットニーだった。「自衛権をも取り上げるということは日本が将来独立を回復した場合に禍根を残すことになる」と批判し、マッカーサー指示によって作られた憲法原案から「さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも」の一文を削除させた。マッカーサーも、のちに回顧録で「憲法9条は自衛権まで放棄したものではない」と弁解している。
だが、この憲法第二原案(ホイットニーによる)はいぜんとして自衛権問題だけでなく、大きな矛盾を含んでいた。このことはこれまでの憲法論争で取り上げられたことはおそらくなく(私は憲法学者ではないので、憲法問題についての膨大な資料に目を通したうえで述べているわけではない。せいぜい「ネット検索で知りうる限り」という前提で私の論理的推測を述べることにする)、また日本憲法にマッカーサーは何を期待していたのかも明らかにされていない。そうした場合、ジグゾーパズルを組み立てるような方法で矛盾の空白を埋めていくしかない。
今日のブログは、この原案に含まれる矛盾の指摘と、どうして矛盾が見逃されてきたかの空白を論理で埋めていきたいと思う。憲法第二原案は大きく分けて三つの要素からなる。
①国権の発動たる戦争は放棄する。(ただし自衛権は否定しないが、そのことは憲法には明記しない)
②日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
③日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
この三要素の矛盾にお気づきだろうか。ホイットニーの勧告によって「自己の安全を保持するための手段としての戦争」は放棄しつつ、一方では「日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も(※ということは独立回復後も、と理解するのが相当である)与えられることはない」という条文は明らかに矛盾している。自衛のための戦力を独立回復後も保持せずして、どうして自衛の権利を行使できるのかという点である。
実はその矛盾の空白を埋めているのが②である。はっきり言ってマッカーサーは、日本を丸裸にしたうえで、「今や世界を動かしつつある崇高な理想に(国家の防衛と保護を)委ねる」という壮大な実験の材料として日本を選んだと考えるのが合理的である。そう理解しなければ、一方で「自己の安全を保持するための手段としての戦争」は否定せず、他方で「日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍(※陸海空軍を擁さない日本軍はどういう軍隊なのか?)に与えられることもない」と前後が全く矛盾した内容になっているのは、第二次世界大戦終結の2か月前に、戦後の国際平和の実現を目指して作成された国連憲章がマッカーサーの念頭にあったからではないか。つまり国連加盟国に国際紛争を武力で解決することを禁じた国連憲章を日本が完全に履行した場合、日本を攻撃する国があるかないかを自分の目で確認したかったのであろう。当時の日本人すべてをモルモットにして。
(自衛のための)戦力の保持を明文では認めず、自衛権は容認する――子供でも理解できる現行憲法が抱えている最大の矛盾の出発点はこうしてつくられることになった。この続きは19日に投稿する。
「なお総理はこの会見でさらっと『いわゆる芦田修正は認めない立場だ』と述べた。この発言はあまりにも唐突だったので、今日のブログでは総理の意図についての論評は避ける」
総理の発言内容について私はうろ覚えで書いたが、発言のすべてを完全に文字化したものをNHKオンラインから入手した。私が問題に感じた総理の発言は以下の文脈の中で使われている。
今回の(安保法制懇の)報告書では二つの異なる考え方を示していただきました。
一つは個別的か集団的かを問わず、自衛のための武力の行使は禁じられていない、また国連の集団安全保障措置への参加といった国際法上合法な活動には憲法上の制約はないとするものです。しかしこれは、これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。私は憲法がこうした活動のすべてを許しているとは考えません。したがってこの考え方、いわゆる芦田修正論は政府として採用できません。自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。
もう一つの考え方は我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方です。生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない。憲法前文そして憲法13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じられていない。そのための必要最小限度の武力の行使は許容される。こうした従来の政府の基本的立場を踏まえた考え方です。
この文脈の中で「いわゆる芦田修正論は政府として採用できません」と、総理は明言した。このことが何を意味するか。
結論を先に言う。「日本政府は現行憲法を認めていない」ということを総理が明言したことになるのだ。これは絶対に「失言」などとの言い逃れができない発言である。さらに総理は禁句であった「武力の行使」も許容されるとした。従来の政府の基本的立場は「実力の行使」である。憲法9条が「戦力の保持」を認めていないため、事実上の軍隊である自衛隊についても、従来の政府は自衛隊の軍事力も「実力」という苦しい表現で憲法との整合性を何とかつくろってきた。それをも総理は公然と否定したことになる。何をもって「従来の政府の基本的立場を踏まえた考え方」と言えるのか。
私がそう言える根拠を示す。もういまの人は現行憲法制定の過程すらほとんど知らないであろう。私がここでいう「いまの人」とは一般人だけでなく政治家や政治ジャーナリストも含めてである。私は16日帰宅後、NHKなど放送局や各新聞社の視聴者・読者窓口に電話をして聞いたが、ほとんどの方は安倍総理の記者会見を(録画も含めて)見たというが、「芦田修正論」発言についてはまったく覚えていない人が大半だった。「そういえば、そんなことを言っていた記憶はおぼろげながらありますが、何か問題があるのでしょうか」と疑問をぶつけてきた人が一人だけいた。
実は「芦田修正論」というのは憲法9条を正確に理解するうえで根幹をなす要素である。私が『日本は危ない』(コスモの本)を上梓したのは1992年7月。今から22年も前である。その本の帯には「世界の枠組みが変わった今。日米安保体制が崩壊する!? 日本はどうやって自らを守るのか」とある。
その本の趣旨は、これまでアメリカの核の傘で守られてきた「日本の平和」神話が、いつ崩壊しないとも限らない。アメリカが日本を完全に見捨てることはないにしても、自国の国益に反する日本の有事に対しては、日本防衛の「義務」を果たさない可能性があることをすでに示唆していた。そして憲法9条が日本の平和と安全に寄与するどころか、反対に足かせになる可能性も指摘した。いま安倍総理は憲法9条が日本の平和と安全にとって、足かせになっていると感じている。が、日本国憲法は硬性憲法と言われており、改正は容易ではない。ようやく改正手続きの第一歩とも言える改正国民投票法案を成立させたが、憲法論議は遅々として進まない。
そのため総理は憲法改正を先送りして、憲法解釈の変更によって自衛隊の海外派兵を可能にしようとしている。そもそもは集団的自衛権の従来の政府解釈そのものが間違っているのだが、その間違った解釈をさらに間違った方向に解釈変更し、そのうえで憲法解釈によって間違いに間違いを重ねた集団的自衛権行使を行えるようにしようとしているのだが、それだけでは足りずに憲法9条そのものを全面的に否定する公的発言をしたのが15日の記者会見における「いわゆる芦田修正論は政府として採用できません」だった。が、いわゆる「芦田修正」はすでに憲法制定の最終段階で憲法に盛り込まれており、憲法9条が自衛のための手段や行使まで禁じているわけではないという「歯止め」をかけた重要な個所である。芦田修正が9条に盛り込まれていなかったら、砂川事件の最高裁判決の結果も大きく変わっていた。が、芦田修正によって自衛隊が自国の防衛のためにしか実力を行使出来ないという「一国平和主義」の理論的根拠になっており、安倍総理としては、誤りに誤りを重ねた「集団的自衛権」解釈に基づいて憲法解釈を変更しようとしても、その前に「芦田修正」が立ち塞がっているという現実にようやく気付いたのが、「いわゆる芦田修正論は政府として採用できない」という発言の意図であった。
そろそろもったいぶった「前座の解説」は終わりにして本論に入る。憲法9条の根幹をなす部分は1945年7月26日に発表された「ポツダム宣言」に盛り込まれていた。「ポツダム宣言=無条件降伏」と理解している人が大半だが、それだけではなく日本の戦後処理も含めて日本への制裁内容が細かく定められていた。憲法9条に関する制裁要件としては「日本軍の武装解除と再軍備の防止を示唆する条項」が含まれていたのである。日本政府による「大日本帝国憲法」の改定作業はポツダム宣言を起点にして日本政府とGHQ(連合国軍最高司令部)との共同作業としてはじめられた。「共同作業」と言っても、GHQは日本を施政下に置いた組織、日本政府は占領され主権を喪失した国の「政府」。相当程度GHQの意向が現行憲法に反映されたであろうことは疑いの余地がない。
日本政府は出来るだけGHQの干渉を避けようと、敗戦直後には大日本帝国憲法の改正に着手し、「軍事行動には帝国議会の承認を必要とする」と、天皇の統帥権を利用した軍部の独走を防ぐための条項を盛り込むことで済まそうと考えていた。が、当然この憲法改正案(1946年2月8日にGHQに提出された)はGHQから突き返された。そしてGHQが日本政府に突き付けたのがいわゆる「マッカーサー三原則(マッカーサー・ノートとも言われる)」の二つ目の原則に基づく憲法原案だった。その内容はこうである。
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
このマッカーサー第二原則に噛み付いたのがGHQで民政局長(憲法草案起草の責任者)のホイットニーだった。「自衛権をも取り上げるということは日本が将来独立を回復した場合に禍根を残すことになる」と批判し、マッカーサー指示によって作られた憲法原案から「さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも」の一文を削除させた。マッカーサーも、のちに回顧録で「憲法9条は自衛権まで放棄したものではない」と弁解している。
だが、この憲法第二原案(ホイットニーによる)はいぜんとして自衛権問題だけでなく、大きな矛盾を含んでいた。このことはこれまでの憲法論争で取り上げられたことはおそらくなく(私は憲法学者ではないので、憲法問題についての膨大な資料に目を通したうえで述べているわけではない。せいぜい「ネット検索で知りうる限り」という前提で私の論理的推測を述べることにする)、また日本憲法にマッカーサーは何を期待していたのかも明らかにされていない。そうした場合、ジグゾーパズルを組み立てるような方法で矛盾の空白を埋めていくしかない。
今日のブログは、この原案に含まれる矛盾の指摘と、どうして矛盾が見逃されてきたかの空白を論理で埋めていきたいと思う。憲法第二原案は大きく分けて三つの要素からなる。
①国権の発動たる戦争は放棄する。(ただし自衛権は否定しないが、そのことは憲法には明記しない)
②日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
③日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
この三要素の矛盾にお気づきだろうか。ホイットニーの勧告によって「自己の安全を保持するための手段としての戦争」は放棄しつつ、一方では「日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も(※ということは独立回復後も、と理解するのが相当である)与えられることはない」という条文は明らかに矛盾している。自衛のための戦力を独立回復後も保持せずして、どうして自衛の権利を行使できるのかという点である。
実はその矛盾の空白を埋めているのが②である。はっきり言ってマッカーサーは、日本を丸裸にしたうえで、「今や世界を動かしつつある崇高な理想に(国家の防衛と保護を)委ねる」という壮大な実験の材料として日本を選んだと考えるのが合理的である。そう理解しなければ、一方で「自己の安全を保持するための手段としての戦争」は否定せず、他方で「日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍(※陸海空軍を擁さない日本軍はどういう軍隊なのか?)に与えられることもない」と前後が全く矛盾した内容になっているのは、第二次世界大戦終結の2か月前に、戦後の国際平和の実現を目指して作成された国連憲章がマッカーサーの念頭にあったからではないか。つまり国連加盟国に国際紛争を武力で解決することを禁じた国連憲章を日本が完全に履行した場合、日本を攻撃する国があるかないかを自分の目で確認したかったのであろう。当時の日本人すべてをモルモットにして。
(自衛のための)戦力の保持を明文では認めず、自衛権は容認する――子供でも理解できる現行憲法が抱えている最大の矛盾の出発点はこうしてつくられることになった。この続きは19日に投稿する。